時間が経つにつれて、『ポニョ』のシーンが蘇ってくるなぁ。
やっぱ、連続で観ておけばよかったのかもしれない。
決して、手ばなしでほめるつもりはないけれど、うん。
良い。
想像力を発動しなければ、額縁の外側にしくまれたあれやこれやは、愉しめないんだろうなぁ。
ところで、
今日付(8/13)の産経新聞の『正論』長谷川三千子教授の論考。「8月15日神話の問ひかけ」はおもしろい。
そもそも8/15を終戦記念日をすること自体、根拠が薄弱で、さながら神話のようだとする風潮があって。
稿はそれに、対峙しているのだ。
ポツダム宣言の正式な受諾は昭和20年8/14。
休戦命令が同年8/16。
降伏文書の調印が、同9/2。
はて、ではなにゆえに8/15?
WEB版でも読めるから、興味のある方は検索されたし。
ぜひ。
話は変わる。
と、みせかける。
野田秀樹の主宰するNODAMAP。
その代表作。というか、到達点が『パンドラの鐘』であると思う。
傑作だ。
完成度の高さには、正直、目のくらむ思いで。
古代の長崎に海賊の王国があって、それが近隣の諸国を切り従えている。
さながらかつての英国のように。そんな設定だ。
しかしながらあるとき、敵国が恫喝してくるのである。
すみやかに降伏しないともうひとつの太陽を落とすぞ、と。
女王は、それを防ぐために自らをイケニエとして捧げることを決意。
この国の未来のために。
そして、きっとこの国の未来の王も同じ恫喝をうけたら、そうするに違いないと。そんな願いをこめて。
いわずもがな、もうひとつの太陽は核をさしている。
そして未来の王は、天皇だろう。
ところが、
これは劇として完成してはいるが、哀しいかな王政と天皇制とはまったく違うわけで。
天皇の一存では、戦争を始めることもできなければ、終えることもできないし。
少なくとも議会が、機能しているかぎりは、だが。
そう、ヒトラーとは違うのだ。
その一点のために、劇としてのデキの良さを認めつつ、しかも感動させられつつも、妙なすわり心地にさせられてしまうのであーる。
ところがだ、それは野田にとっても同じであったらしく。
パン、と手を打って、はて、鳴ったのは右手か左手か。
なんてたとえを持ち出すまでもなく、戦争は、相手あってのものなわけで。
相手がなければ、一方的な略奪や破壊にすぎないわけで。
「アメリカ側の悪意を書き忘れていた」
そう思い至ったんだそうな。
そして書かれたのが『オイル』。
戦時中、島根から石油が出た。なんて架空を元に綴られる傑作である。
珍しく直球。
悲しいまでに、ストレート。
おりしも米国の中東へのレイプが始まろうというころの上演で。
むろん野田ですから、米軍の進駐を、神話の天孫降臨になぞらえたりしていますが。
闇生は思うのだ。これを毎年どこかで再放映してくれないだろうかと。
火垂るの墓もいいですが、オイルもどうぞと。
戯曲で愉しめはするのですがね。
いまひとつ、この戯曲というものが、一般的でないので。
あの8/15を追体験するのに、いいきっかけにはなるかもと。
☾☀闇生☆☽