壁の言の葉

unlucky hero your key

黙祷。

覚え書き。

当時、アキバに勤めていた。
雑居ビルのエロDVD屋。夕刻までのワンオペ状況。
突如よろけるほどの揺れ。
それがなかなか収まらず。
と同時にエレベーターが停止したらしく、非常階段の吹き抜けを伝って上階のマンガ喫茶から駆け下りてくる人の気配が。
非常ドアをあけて様子を見る。
壁に亀裂が入っていた。
血相を変えて四段とび五段とびしていく人までいたので、落ちついてくださいと声をかける。
自分も避難を考えた。
が、思い直して念のため店内を確認すると客がひとりいた。
スーツの男性。彼は選んだDVDを数枚かかえて、
「こんな時にこんなもの買うなんてわらっちゃうよね」
とレジに。
双方苦笑しつつ、余震に揺られながら精算をすませる。
彼も自分も、この時はまだコトの重大さを知らなかった。
むろん震源地もわからない。
彼を非常階段に案内し、遅れて自分も屋外へ。
揺れが収まったら戻ればよいと高を括っていたので制服とエプロンのままである。

開けた場所を探して手近なパーキングに逃れる。
メイドさんたちも何人か避難してきていた。
経営者に連絡をとろうとしたが、ガラケーがどこにもつながらない。
余震がつづく。
ビルが揺れているのが目視できる。
けれど街はまだパニックにはなっていない。

ケータイはつながらず、情報もない。
これだけの揺れなので震源は東京であることを疑わなかった。
しかしやがて情報を得たひとが街頭で東北の海岸の様子を大声で報せているのに出くわす。
デマだと思った。
東北が震源ならこれよりひどい揺れだということになる。
そんなことはありえない。鼻で嗤っておく。
が海岸におびただしい遺体が、という続報。
むろんデマだと思った。

日が暮れようとするころ、経営者にやっと会うことができた。
神田だったかで電車が止まり、やっといま下車できたので歩いてきたという。
こういう事態だから店を離れたと説明。
レジ金と売り上げはどうした?と問われ、その件について考えていなかったことに気づく。
余震のつづくなか経営者とふたりレジ金と売上金を回収しにビルへ。
着替えと自分の荷物も持ち出す。

経営者は家族持ち。
なのでその安否を聞くと、連絡がとれないという。
帰宅を勧めた。
いや大丈夫でしょう。などと強がっていたが、次第に避難者でごったがえしてくる街の様子に焦燥し始める。
ちょっとうちの様子を見てくる。連絡するから。
そう言って経営者は去り、自分は店のみえるそのパーキングにとどまった。
18時ころ、ケータイも相変わらずつながらないのでその場を離れる。

人波についていきながら、自宅方面に歩いていけば、どこかで漫画喫茶くらいには入れるだろうとふんだ。
しかし公園のベンチに至るまで人ひと人で、腰を落ち着ける場所すらみつからない。
人の流れはどこかのん気で、前を行く会社員たちが歓談しているのが印象的だった。
備蓄品らしきヘルメットを被らされて照れくさそうにしている女子社員。
ところどころ頭上のガラスが落下する恐れがあるとの注意書きなどを目にする。
靖国通りをつかって都心を横切り、新宿。
歩道は避難者で密集して車道は渋滞でまったく動かない。
その隙間を自転車がすり抜けていく。
避難者は車道にまであふれ出しているので、それに激怒するチャリンカー。
「歩行者は歩道を歩けよ!」

甲州街道沿いの自転車屋はどこも人の列ができていた。
営業できている宿泊施設はどこも満室。
ならば安価な自転車を買って帰宅したほうがよいという考えの人たちだろう。
自分もそれを考えた。
んが、並ぶ人の数をみて諦める。

笹塚あたりの交差点で警官がマスクを配っていた。
感染症予防のためだという。

どこだったか、街道沿いにあるスナックのママがペットボトルの水とチョコレートを配っていた。
避難をねぎらう言葉。ありがたし。

仙川あたりまで歩いても休めるところが見つからない。
さすがにもう多摩川沿いの自宅まで歩きとおすしかないと決心がついている。
どうせ翌日は休業。店は開けられないだろうと。


国領。
「電車が動き始めたぞー」
誰かが叫んでいた。
22時半くらいだったと思う。
ほっとして駅に向かう。
この時、周囲の人もおそらくコトの大きさをまだ知らない。
道々分かれ道で「じゃおつかれー」などと手を振って解散していくグループを何組も見た。


東北の惨状が知らされたのは帰宅して時間をおいて、日を置いて、少しずつ少しずつのことである。



☾★闇生☀☽