怒りの主張の枕詞に自分の弱さを担保にいれる人は、憎む生き方しか知らない。
そういう奴は信じるな。絶対に仲間に入れるな。
これは内田樹の言葉だという。
するでえなあ。
肝に銘じよう。
今のSNS状況を見渡して、
そして自戒もこめてだな。やはり。
※追記。
謙遜のことわりを入れてから本題にはいるという論法は、あたしもにも覚えがある。
それをのたまう者が何者でどういう立場にあるかの表明は、主張のまえのあいさつのようなもので、ある意味マナーであるとすら思うからだ。
けれどそれが正義の後ろ盾としての弱者の強調にすぎないのであるならば、話は変わる。その正義は憎むために掲げられた正義である可能性が高い。
否定、批判の許されない絶対的な『弱者』をぬけぬけと後ろ盾にするこの手の正義に、解決はありえないだろう。
話すだけ無駄。
大きく括れば「庶民の立場から」というのも眉唾で、実際もんだい歴史と慣習に深く根ざし、風潮にまどわされずに生きる庶民なんていうものは、どうですか。いますか? 周囲に。
現代にいるのはその時々の風になびいてはあれこれ騒ぐ根無し草の『大衆』、それだけだと思ふ。
闇生