有休二日目。後編。
前頁の根津美術館からわずか1.5kmのところにもひとつ美術館をみつける。
当初から午後はそちらを見物しようと計画していた。
施設は『浮世絵 太田記念美術館』と謳っており。
企画展では浮世絵に描かれてきた異性装を特集しているらしい。
異性装といえば有名なのがまず歌舞伎だ。
んが、その発祥のころは『男装した女による男役』と『女装した男による女役』での芝居、あるいは踊りが展開されていたといふ。
実際の性別とはちがう衣装、役柄へとクロスする趣向ですな。
しかしのちに女が舞台にあがることが禁じられて、女形だけが残ったそうな。
それとは別に今回の展示で目立ったのは、吉原の遊女や芸者たちによる男装パレードだ。
そんなのあったのね。
『俄(にわか)』という催しだそうで、
即興の芝居のようなこともしたそうだが、仮装行列に近いノリに思えた。
この時代、アイデンティティの表明は髷にたよっていたこともあってか、男装をするにはまず男髷に髪を結うことが肝心。
これが現代の感覚で見ると、おもったほどの男装になっていないのだな。
総髪をひとつに束ねてちょんまげにするシンプルなもの。
男髷とはいいながら月代までは剃らずにいるので、女とのギャップもあまりない。
逆に女装のほうは、素人目には女にしか見えない。
専門家なら装束や髷の結い方などでただちに女装と見なすのだろうが、あたしには難しかった。
けれど、当時はそれら性差をあらわす装いの区別は常識であったろうから、庶民はこれらの絵を一目して異性装を扱ったものと解釈したのにちがいない。
で、そこを愉しんでもいたのだ。
もっとも、画中に文章で説明があったりもするのだが。
女装の歴史といえばヤマトタケルの神話からはじまって牛若丸の伝説まで日本ではおなじみである。
すすんでますな。我が国は。
これらはどちらかというと変装という意味合いが強く。
周囲を欺くためにするわけで。
しかし歌舞伎のなかにはすでに女装した男の役を男(女形)が演じるという複雑な形が出てくるわけで。
これは高度だとおもう。
どんな尺度で高低をつけているのか、言ってる自分でわからんのだが、高等技術にはちがいないだろう。
演技としても作話術としても、鑑賞するにしても、なんらかの技術がいる、よね?
ところで、
現代人がこの件を考えるときに問題となるのはファッションとして、あるいは仮装としての異性装ではなく。
いわゆる心のありかではなかろうかと。
んが、どうだろう。
心の性別という概念が、この時代にどの程度あったのかは調べようがないし。
ましてや貞操や『結婚』という制度の社会的位置づけも、今とは重さがちがうように思える。
女犯は禁じるが男娼はゆるすというこの時代の坊主の方便もまた、その辺のゆるさの現れだろうし。
そうそう。坊主で思い出した。
陰間茶屋、という風俗店が芳町というところにあった。
女装男子が性的サービスをするお店なのだが、客は後家さん(商家の未亡人)から坊主までさまざまだったという。
つまり女も男も利用したのね。
芳町は 坊主背負って後家を抱き
あらま。バイさんじゃないですか。
しかもこんな句が残っているほどだ。盛況だったのだ。
はたらいていたのは修行中の若い歌舞伎役者たちであったという。
『心』はむろんのことその『性別』すらも計測することはできないが、すでにりっしんべんに生きる方(心が生きる)の『性』欲には商業的にも需要があったということである。
性欲には嘘つけません。
陰間とあそぶ後家たちの様子を描いた絵まであるのだし。
彼女たちの執拗な要求に陰間たちが音をあげた、とまで伝えられているのだし。
残念ながら今回の展示ではその手のものは無い。
豊国が三枚つづりで描いたものを、かつてものの本で見たことがあるのだ。
女装(男)と女装(女)という構図で、これまた高等技術なのであーる。
見立て、も興味深かった。
三国志で有名な三顧の礼の逸話を男女入れ替えて絵にしていた。
つまり孔明を訪う劉備、関羽、張飛をすべて女に差し替えて描いているのだ。
まったくもって自由にあそびますなあ。先人たちは。
というわけで、今回の企画、思った通り若い女性客が目立ったのだな。
なのでもうちょっと突っ込んだ展示にしても良かったかもしれないなと感じた。
R指定にして。
外国人観光客も多かった。
気がかりなのは絵によっては英文の解説が簡略化されていたこと。
文化の豊かさとしての『女装/男装』の違いが、どれくらい彼らに伝わったかは、甚だあやしい。
追記。
地下に手ぬぐい屋さんがあって、観光客たちで賑わっていた。
時間が余ったので新宿をぶらぶら。
アルタの裏手の沖縄そば屋『やんばる』でやんばるそばをいただく。
去年、夜勤でこの店の前に立っていたことがあるのね。
それで気になってた。
初めての食感。
塩味あっさり系。
ごちそうさま~。
さらに追記。
男装。
男になりすます、のと『男装』は違うのだとあらためて。
月代を剃ってまで装うのなら、男として生きる覚悟だろうが。
そうではないのだろうな。
楽しんでいるのだな。男装というものを。
絵からはそれを感じたし、そこが楽しみどころなのだ。
するほうも、見るほうも。
遊びますなあ~。先人。
☾☀闇生★☽