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バカがつくほど真っ正直な声だと思う。
決して皮肉で無く。
男女の別なく、似たような本音をもつひとは少なくないでしょう。
そう。不幸なことに『自分』の時代の飽和状態に生きているのだ、あたしたちは。
自分大好きのローリスク・ハイリターン狙い、どころの時代じゃもう無くて、もはやリターンは二の次になってんだ。
あくまでローリスク。
あわよくばノーリスクで生きたいと。
石橋を叩いて叩いて、渡る必要が理解できるまで、渡らないと。
いやむしろ渡らないことの利を見出して安心すると。
叩くのもやめると。
そもそも『絶対神としての神』の根付かない国が『自分探し』やら『個性至上』やら『わたくしの気持ち』とかいうのを、野放しに運動させてきたのだから、そりゃあ『俺、俺』になります。天罰も不徳もないのですから。
価値の基準が『わたくしの気持ち』になります。
傷ついただの、ショック受けただの、はげまされただの、感動しただのと。ぜ〜んぶわたし基準です。
ちなみに言えば、
この価値観の極北に例の『誰でもいいから殺してみたかった』という、隔離された無菌室で純粋栽培されてきた『わたくし』が眠っていると、あたしは睨んでいるのです。
なんにせよ、わたくしの気持ちが最優先です。
それで、なんですか。東北ですか。福島ですか。
なににつながるにしても労力や支出や譲歩やリスクはゼロではありません。
せいぜいノーリスクのW杯テレビ観戦でうっすーい連帯感をつまみ食いするしか、繋がる手だてを持てないのです。あたしたちゃ。
道は険しいのです。
いや険しいと分かっているのなら、そこから動かないのです。
自分のためにしか生きられない、という窮屈。
つらいです。
不自由です。
いや、その不自由を実感できれば、まだいい。と慰めて。
誰のためにもなれない、誰の人生も背負えない、関われない、という狭さ。
損得勘定の向こう側を知らない人生。
その居心地のいい窮屈を、このひとりもんのおっさんは、日々痛感してるのです。
追記。
例の『年収○百万以上じゃなきゃ結婚しない』的なのも、実は、態のいい『独身宣言』なのではないかと思ったりします。
もとい、『わたくし宣言』か。
テコでも動かねえぞ、てなニュアンスがどこかに感じませんか。
お稽古ごとやジム通いなどの『趣味』も、『婚活』という名のもとなら胸張って没頭できるでしょう。
ノーリスクに。
あくまでノーリスクに。
グラスの縁いっぱいまで注いだワインを、一滴もこぼすもんかと。
渡すもんかと。
そろり、そろりと。
それが本当の貧しさなのではありますまいか。
追記。7/5。
そうか。
金さえあればなんでも買える、という考え方を裏付けるのですな。現実からズレた年収を、自分ではなく相手に希望するというのは。
この考え方の『対』としての常套句が「心までは買えない」というやつでしたね。
しかし、その心とかいうものを売りに出しているということなのか。
年600万で。
びた一文まけねーぞっ、と。
他方、結婚したくないは、その心を他者のために浪費したくないと。
売るなどもってのほか。
むかし『心遣い』ということばがあったけれど、遣いたくないという感じかな。
でも目の前や身近に600万オーバーの現実があらわれたならば、やっぱときめいちゃうよね。
☾☀闇生☆☽