ケツの右が痛い。
筋肉痛である。
おそらくは昨日の現場で、日がな一日雪かきをしていたからにちがいなく。
にしても、痛い。
子供のころのお尻の、その渓谷をはさんだふたつの頂きを、それぞれ、
「おしりのほっぺた」
と呼んでいた。
それにならえば、このたびは、
「おしりの右のほっぺたが痛いよお。おかあちゃーん」
となる。
だからなんなのか。
それがほっぺたなら、口や目鼻はどれなのか。
んなこたどーでもいいぞ。
早朝、
商店街の歩道を歩けば、雪かきをしている店舗としていない店舗の差が歴然である。
営業姿勢が、丸出しになって、路上に現れているではないか。
いわば、ストリーキングといったところだろう。
ちがうだろう。
司馬遼太郎が、
とほったらかしにして、途端に話をかえるようだが。
中国には『公』という概念が無い、とするその例として商店街の通りをあげていた。
たとえば路面の補修工事に関しても彼らは、自分の店の前だけ、やると。
けど、日本なら『商店会』という名のもとに、会費なりを募ってみんなで一斉にやると。
ところが、このたびの雪の商店街を歩いていると、どうもそうでもないようだと気づく。
いや、ひょっとすると最近の傾向なのか?
のさばる『個人』の仕業か。
損得勘定か。
などと問題定義するまもなく、東京の雪なんざ、翌日の午後にはとけちゃうんだけどね。
あっちうまだ。
雪かきなんぞちっともしていない店舗の前を、靴音をざくざくいわしていきたがるのが、心にすまう少年のやり口だし。銀の平原におしっこで名前をかきたがる、氷レモンの心意気であり。隙あらば氷あずきまでやらかしかねない、あれだ。なんだ。とどのつまりが、
おしりのほっぺだだ。
で、
まったく雪かきぐらいしとけよ。と苛立つのが、老いである。
汗だくで雪かきをするケービ員。そのあたしのそばを、氷に足を取られないように恐る恐る通行するえるだりいな御婦人アリ。ふと少女のごとくに微笑んで、ひとことくれた。
「ごくろうさまですぅ。ありがとう」
うん。
おまえもな。
右のほっぺたに伝えとく。
☾☀闇生☆☽