そうか、
談志のことを考えているうちに、いつのまにかICE宮内さんの命日を過ぎている。
なんとはやいことか。
談志のギャグでおなじみの某総書記も死に、
『それから』の森田義光も亡くなって、
あれよあれよと過ぎていく、日々。
かつてここでもその著書をとりあげたが、
談志の弟子のひとりに、立川キウイというのがいる。
志らく曰く、
なんでも彼の芸は『幼稚園落語』だそうで。
にもかかわらず、それを真打にしてしまうところが、談志という謎のおもしろさでもあったわけ。
なんだろう。
デッサンやらの模写の修行をすっとばしてうっかりデビューしてしまったジミー大西画伯のようなものなのか。
ようするに、その存在そのものが、落語というものへの問いかけなのではないのか。
当人に自覚できようが、できまいが、少なくとも天然としておもしろがられたのだ。それも、あの談志に。
であるにもかかわらず、
そんな彼のブログが連日鬱鬱として、暗いのはなぜ。
とても落語家のそれとは思えない。
談志という人は業という人の弱さを肯定したし、
それもひっくるめてすべてをさらけ出してみせもした。
ただ、
さらけ出すことそのものに依存はしていなかったはずであり。
そこへいくとキウイのそれは、どうにもこうにも見るに堪えないものになってしまってる。
わかるけどさあ、と肯定できない。
んなことやってるより、しゃにむに天然してくださいとしか、思えない。
そんなあなたを談志は面白がるだろうか。
笑い飛ばせ。
☾☀闇生☆☽
写真/西荻南。