「貧乏とは、飢えと寒さである」
談志は噺のマクラでそう断言したのだ。
して、こう続けた。
「じゃあ、東南アジアとかあっちの方に行くと貧乏って、なんなのかね。飢えと暑さなのかね」
なるほど、おもしろい。
価値観は、風土に根ざしている。
たとえば、日常なにげなく使うネガティヴな表現にも、それは現われていて。
「そんなシャレ、やめなシャレ」
うわ、さぶっ。
少し前の漫画なら、その瞬間だけ吹雪のコマになったり。
文字通り、寒さがシラケ発〜貧乏経由〜不幸ゆきの象徴になっている。
そんな表現がベタと感じるまでになじむなんて、やはりお国柄じゃなかろうか。
むろん程度にもよるわけで「涼しげ」や「クール」ぐらいならば、この多湿な風土にとってかえってありがたがられるわけだが。
一般に冷たい奴よりあたたかい奴の方が、そりゃあうれしいさ。
平和な時には煙たがられるアツイ奴も、ピンチには、少なくとも冷めきった奴よりは心強いし頼りがいがあるというもの。
アツアツの仲、なんて言ったり。
お寒い夜よりは、おアツイ夜だ。
冷たいビールが好まれるのも、暑さあってのものだろう。
たとえば渡辺謙はどうだ。
唐突にどうだと言われてもなんだろうが。
アツイ奴として、なんか急に言ってみたくなったのだからしょうがない。
映画『硫黄島からの手紙』で彼が演じた栗林中将の振る舞いは、そんなアツさを根底としながら、さっぱりとしている。
いやなに、
今週のケービの現場でそんな方に会いましてね。
初日は配置人数の多いところだったからそれほど会話もできなかったのだが、その翌日の違う現場でまた御一緒して。
それは彼の常勤現場で。
あたしゃ自分の印象の薄さを自覚しているから、前日に引き続いてまた名乗ったのだ。すると、
「存じてます」
軽く気をつけをして短く頭を下げるではないの。
なかなか言えるものじゃないよ。存じてます、なんて。
その風格と、言葉のリズムが渡辺栗林だったのだな。
「この海岸線に塹壕はいらないでしょう」
まるでそんな調子で、
「そこの作業車にはカラーコーン無くてもいいでしょう」
「少し時間が空くらしいので、いまのうち休憩をどうぞ。ごゆっくりっ」
なんともリズムが小気味よい。
でそこに添える笑顔のメリハリもまた、テキパキとして。
昨日書いた文世の逆でね。
謙はね、常勤の立場として作業の流れ、コツ、注意点を簡潔に伝えるのはむろんのこと、トイレやコンビニの場所まで前もって教えてくれるのだ。
すれ違いざまに「暑いですねえ」と声をかけるし。
前日の現場について、二言三言投げかけてくれたりもする。
翌日の現場を問われて、教えると、そこの常勤が、
「ああ。○○とうスケベオヤジです」
などと、どんなキャラかまで教えて快濶に笑い、なおかつ、
「なんかわからないことがあったら、ボクに連絡をください」
帰りには、この日電車通勤だったあたしに最寄駅への近道まで言い残した。
スポーツタイプの自転車で去って行くその颯爽とした後ろ姿よ。
かっちょええ。
さすがは渡辺謙だ。
なんか知らんが熱いハグを求められんじゃないかと怯えていたが、さすがにそんなことはない。
アツくて、さっぱり。
アツさの作法としてお手本だと思う。
暑さ寒さも彼岸まで、といふ。
ならばそれについての一喜一憂も、所詮は此岸の風物か。
呵々。
☾☀闇生☆☽
膝。
レントゲンの結果、骨には異常なし。
靭帯も、触診でみる限りは無事とのこと。
ただ水がたまっていて。
そこに血が、ライトボディのワインの透明度で混入している。
そいつを300ccの注射器で二本弱、採取。
それでだいぶ屈伸できるようになったが、立ち仕事の勤務中にみるみる腫れあがって、また曲がらなくなってしまった。
明日、またそれを抜いてもらいに病院へ。
連休前だしね。
追伸。
18日付産経新聞の記事『40×40』。
今回は宮崎哲弥氏が「人権論者の基本的敗北」と題して寄稿している。
NHK放送文化研究所による「日本人の意識」という調査にふれているのだが。
これは1973年から5年ごとに同じ方法、同じ設問で収集し続けているという意味で、注目できるアンケートらしい。
そのなかの「権利についての知識」という項目。
「以下の項目の中で、憲法によって、義務ではなく、国民の権利と決められているのはどれか」という設問がある。
ア、思っていることを世間に発表する。
イ、税金を納める。
ウ、目上の人に従う。
エ、道路の右側を歩く。
オ、人間らしい暮らしをする。
カ、労働組合を作る。
キ、わからない、無回答。
正解はア(表現の自由)、オ(生存権)、カ(団結の自由)。
正答率が年々低下していて、今回はついに10%を切ったのだとか。
中でもイの「納税の義務」を「権利」であるととらえている人が43%近くもいるという。
これらの解釈もまたコジンのジユウなのか。
闇生は現憲法の一切が正しいとは少しも思わないが。
これではもはや価値観の変化という次元ではなく、価値の喪失ではないかと。
記事をリンクしたかったが、例によって例のごとく今のところ紙版でしか読めないので、要約して引用しました。
ぜひご一読を。