警備士の新人研修。
これは法で30時間の受講と定められているらしい。
内容は主に、道路交通法などをふまえた交通誘導員のふるまいについて。
つまり、すべきことと、すべきではないこと。
しなくてもよいこと。
加えて、まわれ右、集団整列などの基本動作および交通誘導の合図の習得なのであーる。
特に、この合図が一致していないと、現場に混乱をおこすおそれが多いから念入りにやる。
まず警備士というものが、現場から現場への旅がらすで、そのごとに組むパートナーも異なることが珍しくない。そんな稼業である。
となればだ、
この合図がおのおのの独創であっていいばすはないし、曖昧であっても危険である。
なので初対面でもスムーズにやりとりできるように統一を強制すると。
だもんで受講中、ふにゃふにゃまごまごとしている方をみると、あんなのと現場で組まされたらたまったもんじゃないと、ちょっと恐怖も感じたりするのだ。
だから先に習得した者は現場デビューを目前に控え、そんな想像力が働き、親身になって後輩のアドバイスをおっぱじめるようである。
他人事じゃないのだよ、これは。
あたしゃ、かつてそんなこんなで怖い経験をしたのです。
交通量のはげしい国道の、片側交互通行でね。
それはともかくとして、
先日はこの闇生、受講生たちのキャラの立ちっぷりが愉しいとかなんとかぬかした。
なので、以下はその続きとして、またちょっとえらそーに、ぬかす。
なんせあれだ、
応募資格の門戸がだだっぴろいから性別はむろん世代、学歴、職歴、その他もろもろの違った人が一堂に会するわけ。
几帳面になんでもノートにとっている書生風のカチッとした人もあれば、
かったりぃぜ、とばかりにハスに構えつつ、実はきちんと習得している冷めた若者。
温和に、静かに、実直にこなす年配者もあれば、
へらへらとひやかし風情でその場を賑やかすお調子もんもあって、
実ににぎやか。
ちなみに講師はすべて不肖闇生より年下である。
もちろん受講中、講師は生徒にため口で。うちらは敬語だ。
別に強いられたわけじゃないけど、常識的にそうなるわな。
そのなかに十九歳の男で、なんと言おうか、声と言葉遣いがヒジョーに雄々しくない方がおられまして。
それはもう、背後で明らかに女の話し声がしたのに、鼻の下を伸ばして振り向くと野郎ばっかという。
見渡す限りのオスという。
さては空耳かと、しばらくは事情がのみこめずにいたくらい。
しかし、
あたくし的には、エロDVD屋という職業柄、そんな方の出入りに慣れている。
お客さんにも、メーカーさんにも、いろんな方がおられる。
よって、
あ。こんなとこにもおられましたか。
内心、その程度である。
んが、周囲にとっては格好のネタに違いなく。
ましてや、このお方、なかなかにのたまうのであるからして…。
曰く、
日本は個性、個性と祭り上げるくせに、実際は個性を尊重しない変ちくりんな国だ、とのこと。
人と違っていてもいいじゃないか、と。
なんでこの社会は、個人を一色に塗りつぶそうとするのか。
おそらくは女声とその言葉遣いを面白がられているという自覚からだろう。休憩中にそんな切り出し方をされたのだ。
けれど、誰もそこまでのことを言っちゃいない。
「じゃ、それじゃどこにも就職できないじゃん」と社会人たちに一笑に伏されてしまう。
なにより、足並みを揃えようという研修中にのたまう言葉ではないかと思われ。
基本動作も制服も、ある意味一色塗りには違いないだろう。
んが、
その人の人間性までを塗りつぶそうというのではない。
すると彼は「海外に行きたいんですよね〜。スペイン語とか勉強して」ときなすった。
日本、嫌なんですう。
その妙に薄いプライドがおもしろく、周囲は退屈しのぎにいじり続ける。
これが高校や中学での一場面なら、そのままイジメに発展するのかもしれない。
が、そこは大人たちだ。いじりつつも、絶妙な間合いを楽しんでいるようで。
前職を辞めた理由を問われると彼は、パートのおばさんとの衝突と答え、
「あのばばあったら、シマムラあたりの安物の靴下はいてるくせにい。んもおっ」
日給のガードマンの研修中という状況で、そのプライドは余計かもしれない。
んもおっ。
個性と個別性すらも見分けられずに自己主張して、おさらくは現実を直視できないでいるのではないか。
彼の実技にはそんな客観性の欠如が、ものの見事に現れていると感じたのだ。
つまりは、ふにゃふにゃまごまご。
動作を注意されているのに、いちいちぶつぶつと言葉で理解しようとして。
まず動こう。
これは、とりもなおさず想像力の問題なのだ。
それにしても、
嗚呼、
若さっていうのは、
いつの時代も変わらない。
この闇生、えらそーに人さまのことを書いているが、自分を見るようで思わず苦笑してしまったのだよ。
たった10分の休憩にもDSを出してゲームをしているのは、彼だけ。
となれば、むろんそれへも周囲は食いついてくるわけで。
なぜかといえば、問われるままに自己主張ばかりで問い返さない。だから、また面白がられる。
「どんなゲームやってんの?」と。
それを、
「ゲームとか、やります?」
「どんなジャンルが好きなんですか?」
「前職は?」
「お住まいは、どちら?」
そうやって投げられた球を返してキャッチボールにしてしまえば、自然と対人の距離がたもたれるはずなのである。
すれば先方も若干たじろぎ、ズケズケと踏み込んできたりはしない。
たとえば出身地を問われれば、おかえしにそれを問い返すのはマナーのようなものだろう。
むろん「言い返し」のニュアンスでそれをやれば逆効果だが。
投げ返さずに受けるばかりでは、どうなるか。
想像すればわかることだ。
そこはひとつキャッチボールの返球のマナーを参考にすればいい。
自立とはそういう関係性のなかに生まれるのではないのか。
いや、そうやって生むのだ。
そんな彼だ、
誰もが一番先に脱落すると思っていたが、なぜか受講を続けているのがまたおもしろいと思うのだよ。闇生はさ。
☾☀闇生☆☽