期日前投票に行ってきた。
で、
おそらくはこの投票の時点で多くの人が気づくのだと思う。
総選挙は、最高裁判所裁判官国民審査の投票も、兼ねるのだということを。
いろいろと問題があるこの制度ですが。
ずらりとその裁判官の名前が記された用紙を前に、いったいどうしたらいいんでしょうか。あたしたちは。
政治家の政見放送はなにかと見かける。
そりゃもう、くどいほどに。
んが、
裁判官のは無いよね。
たしかにカメラに向かって
「庶民の視点で頑張りまっす」
なんて握りこぶしを突きだされても、なんだかなあですが。
よって、誰がどんな判例に携わってきたのかなど、多くの人が意識できていないのではないのか。
でいながら、
いずれかの名前の上に×を記して不信任を示せというのだな。
知らなければ記せるはずもなく。
名前の画数やサイコロで決めるわけにもいかず。
ましてや顔も知らない。
で、何も記さずに提出となると全員を信任とみなされてしまう。
どこか腑に落ちないとは思いませんか。
これから先、
なにかと国辱的な判決も目立っていくかと思われ。
となれば、決しておろそかにはできないことで。
この制度ひとつをとっても、現ケンポーにはホコロビがあると思われ。
おもいおもわれ。
帰りは電車賃をケチって歩いた。
炎天下を四十分。
調べたら住宅街を縫う小川沿いに帰れると判明したのであーる。
河辺の植物が青々と生い茂っていて。
降りしきる蝉の声と、
セロニアス・モンクを道連れに。
Ruby My Dearのコールマン・ホーキンス。
効くぜ。
世代の若いコルトレーンのプレイなぞ、どこ吹く風にブロウしやがるのだ。
この時点でホーキンスのスタイルはすでにオーソドックスとみなされているはず。
けど、この頑固おやじの艶といったらないのよ。
むせかえるほどにセクシーで。
久しぶりにしびれたっす。
☾☀闇生☆☽
かつての革新が時を経て、やがてオーソドックスに。
おっさんのセクシーはその道程に育まれる。
変革の作法にさ。
老舗のラーメン屋は、その実、常連にばれないようにちょっとずつ味を変えているという。
同じ味なのに飽きないのは、それがためだ。
良きオーソドックスとは、そういうものである。
川の水は、淀めば腐る。
流れ続けてこそ川。
保守が死ぬのは、その精神を忘れたときかと。