ジョルジュ・シムノン原作、タル・ベーラ監督作『倫敦から来た男』DVDにて
おそらくはこの監督、事件やドラマが撮りたいのではない。
たそがれていく人々の、慎ましき日々の営みを。
いや。
慎ましく営みながら、たそがれていくほかのない人間を、撮ろうとしている。
興味はそこだけなのに違いない。
同時にそういう己の視点をゆるぎなく確信してもいて、必然、観客にそれを強いることになる。
もとい、
紹介することになると。
本作はジョルジュ・シムノンの遺した古典をもとにしている。
筋そのものは、いたって古き良きエンターテイメントであり。
極めてシンプルで。
他の監督が撮れば、30分ほどに納まってしまうかもしれない。
されどそこはタル・ベーラである。
もったいをつけた長回しと、執拗な間で二時間を越える大長編に仕立てあげてしまった。
思うに、映画とは。
と大上段から無礼をこくが。
ストーリーを伝えることがメインディッシュなのではない。
そんなものは文章の方が得意だし。
その集大成であるところの小説でさえ、カバー扉の概略で済ませてしまうほどだ。
仮にあれが表現の核だというのならば、セックスの核は保健体育の教科書になってしまう。
図1。図2で済んでしまう。
あらゆる無駄と省略を駆使して、観客の想像力を映画作りに『共犯』させる。
そこに映画の醍醐味があるのではないのか。
さて、省略は良しとしよう。
無駄を駆使するとはなんじゃらほい。
タル・ベーラのもったりとした長回しのカメラワークに付き合うにつれて、この度はそれを考えさせられた闇生なのだ。
その『間』、要るか?
せちがらく、せせこましい日常を引きずってこれを見れば、つい、そんなツッコミが頭をよぎってしまうことだろう。
最新作『ニーチェの馬』でもそうだったが、本編中、テーマ音楽が執拗に繰り返される。
そのたびになにかしら重要で深遠な意味がふつふつと沸いてくるのは否めないのだが、それもまた、
ここで音楽、要るか?
なのだ。
このテーマ曲なら、何を撮ってもタル・ベーラになってしまうのではと。
観賞後は頭の中でパロディーがうずいてしまうほどで。
おっさんがトイレで用を足しているだけでも、画面がモノクロでこのオルガンが鳴り響けばすっかりタル・ベーラだ。
トイレットペーパーが切れていて、おっさん茫然とするの図ならば、なおのことタル・ベーラである。
いまこれを読んでいるあなたを背後から撮って、このオルガンがなれば、ほらまたタル・ベーラ。
んなことはない。
いや、なくもない。
何が言いたいのかというと、本作は筋そのものを追えばオーソドックスなエンタメではある。
んが、それだと『間』に焦れておねむになるだろうということ。
しかし、タル・ベーラ独自のお眼鏡にかなった厳選された無駄の深みを愉しめるならば、重厚な映画的ひとときとなるに違いない。
それには、長回しのカメラワークとそれに合わせた演技のタイミングの妙を愉しむのも不可欠だし。
その裏に入念なリハーサルと試行錯誤があったろうことを想像するのも欠かせない。
執念を感じるほどだ。
古びた家具や建物の味わい。して、それらが立てる音。
カフェの老マスターの愛らしさ。
そこに入り浸っている常連たち。
モリソン刑事の老いに刻まれた威厳と、その風情。
主役マロワンのピアソラのごとき頑固顔。
そして、それぞれの貌。
たとえば会話のシーン。
黒澤明がどこかで言っていたが、二人の会話を撮る場合、話し手Aから次の話し手Bへとカットが移るのがオーソドックス。
ようするに、常に話している人の顔をつないでいくのが基本。
けれど、役者が本当に相手の台詞を聞いて反応しているのなら、聞き手Bから聞き手Aへと、つねに聞いている方の顔をつないでいくほうが面白いとのこと。
本作では聞き手の顔が強調される。
なるほど、じっと話を聞いているだけのブラウン夫人のアップに、魅入ってしまった。
余談だが、観賞後に『ソーシャル・ネットワーク』を観直した。
冒頭からいきなりまくしたてるような会話シーンなのだが、こちらは話し手から話し手といういわゆるまっとうな撮り方をしていた。
観やすい分、想像力も刺激されず、かえって退屈に感じてしまったのはタル・ベーラの腕力による思われる。
知らずに酔っていたのである。
最後にあらすじをつけておこうか。
ちなみにあたしは、一度流して観てから、二度目にじっくり観た。
時間の芸術であるところの映画をぶつ切りで観るのは禁じ手なのは承知しているが。
そうやって筋を知ってから、この世界を堪能した。
ほら、
ジョギングで初めての道のりは長く感じるでしょ。
けど知った道ならあっという間だ。
以下、ネタバレで。
港の駅で転轍手をつとめる男マロワン。
ある夜勤の日の夜更けに、詰所の窓から奇妙な事件を目撃してしまうことに。
ひとつのカバンをめぐって仲間割れを始めた二人の影。
それを奪い合ううちに一方がカバンとともに暗い海に落ちてしまうのだ。
片割れは海面をのぞくが、なにも見えない。
あきらめて立ち去るのを待って、マロワンはそこからカバンを拾い上げる。
中には大量の現金が。
後日、ロンドンからカバンを追ってモリソン刑事がその街を訪れる。
金はロンドンの劇場主ミッチェルのもので、劇場を売却して得た6万ポンドだという。
それをミッチェルと旧知の曲芸師ブラウンが盗み出したのだ。
モリソン刑事はブラウンを問い詰めるが、隙を見て彼に逃亡されてしまった。
刑事は、事件のあった夜、港を見ていたはずのマロワンに嫌疑をかける。
港からはついにブラウンの相方テディの死体が引き揚げられた。
つつましい生活のなかにふと舞い込んだ大量の現金。
娘アンリエットの薄幸を憂う日々。
マロワンの孤独な葛藤がはじまる。
刑事は逃亡中のブラウンの妻に捜査への協力を要請した。
そんな頃、浜辺の掘っ立て小屋のなかにあやしい人影をアンリエットが認める。こわくなって外から鍵をかけてしまったと父マロワンに報告。
はたして、それは逃亡中のブラウンなのか。
マロワンは食料をもって単身、小屋へと向かうのだった。
☾☀闇生☆☽