幼女は悲しんだ。
祖母に負ぶわれて防空壕へと急ぐその道で、母に縫ってもらった人形をなくしたことに気付いたのだ。
「ばあちゃん、おにんぎょうさんが」
しきりにそう叫んだのに、と壕に駆け込んでから幼女は執拗に祖母を責めた。
しかし、警報が解けるまでは外に出られないと大人たちが言う。
すると幼女は地団駄ふんで祖母の非をなじり、ますます嘆いて彼女を困らせた。
泣き疲れてすっかりしょげかえった頃、
「ポロン、ポロン」
と背中で音がする。
幼女が振り返ってみると祖母は赤子を抱いていた。産衣の中に顔を寄せてやさしくあやしている。
楽しげなその様子に幼女はたまらず、
「だれの赤ちゃん?」
とたずねた。祖母は自慢げに、
「ばあちゃんの」
しかし幼女はそんな赤ちゃんがいたことなどこれまで聞かされていない。不思議がる幼女に祖母は重ねて、
「ばあちゃんの大事な大事な赤ちゃん」
と孫の興味をそそった。そのくせ、
「みいちゃんにもお顔みせて」
と幼女がせがんでも、
「ヤーダヨ」
ばあちゃんはおどけて舌を出すのだ。
「やあん、みせてみせて」
めげずにみいちゃんはすがりつくが、祖母は、
「ダーメ」
を繰り返して、赤子の顔を腕の中にかくまってしまう。そして、
「ああいい子だ。いい子だ」
とその皺んだ丸い手で愛しげに赤子を撫でた。
するとまた、
「ポロン、ポロン」
産衣の中がそう音を立てる。
「泣き虫にはみせてあーげない」
「みいちゃん泣いてないもん」
「ばあちゃん駄々っ子にも見せてあげねんだ」
「だだっこちがうもん」
「いい子にしてねえとおとうちゃん悲しむぞ」
ばあちゃんは大袈裟に睨みつける。暗がりの中でのそれは幼女にとって般若の面のような恐ろしさだった。
「おとうちゃん帰ってくるまでいい子にしてっか?」
みいちゃんは押し黙る。
「してっか?」
強張りながらもかろうじて頷くと、
「そっか。いい子だいい子だ。みいちゃんもいい子だな」
ばあちゃんはとろけるような笑顔に戻って産衣の中を見せてくれた。
今にして思えば、裏藪に掘られた壕は随分と暗く、そして窮屈だった。
けれども水を得た魚のように、ばあちゃんがつむぎだす数々の不思議はその闇を得て縦横にふるまい、幼かったみいちゃんを魅了した。
口からつむぎだされれば、壕はヤマタノオロチが鎌首をもたげて天を覆う山奥となり、連なるサメの背を白兎が駆け抜ける海峡にもなり、乙姫さまが妖しく微笑む海の底にも、鬼たちが夜ごと宴を繰り広げる地底の洞窟にもなった。
またその指からつむぎだされれば、手ぬぐいはまるまると肥ったうなぎになって這い回り、紐はその手に編まれてほうきや富士山や四段ばしごに化けた。
あれから何年が経つのか、みいちゃんはすっかり大きくなって、やがて妻になり母になり、ついには孫を持った。
防空壕の暗がりの中でいくつもの不思議を見せてくれたばあちゃんは、もういない。
結局、父ちゃんも南の海から帰らなかった。
あのとき祖母が、むずかるみいちゃんに自慢してみせた、
「ばあちゃんの大事な大事な赤ちゃん」
それはほかでもない、その帰らなかった父ちゃんのことである。
産衣は使い古した風呂敷で、赤ちゃんの正体は父ちゃんが愛したマンドリンだったのだ。
こと或るごとにばあちゃんはこの息子の形見を膝に乗せ、弾けもせぬのに、
「ポロン、ポロン」
と撫でた。
そして父ちゃんがよく弾いてくれたという唄を口ずさんでは、ひとり微笑んで思いに耽るのだった。
蘇州夜曲、というのだそうだ。
今でも、ばあちゃんの大事な赤ちゃんは、みいちゃんの腕に抱かれてポロン、ポロンと唄います。
☾☀闇生☆☽