両国 すみだ北斎美術館にて
http://hokusai-museum.jp/
北斎といえば、あまり美人画のイメージがない。
富嶽三十六景に代表される風景画と、庶民の生活を活写した北斎漫画といわれる一連のシリーズのほうが馴染みがある。
けど当然のことながら、描いてはいるのね。彼も。美人さんを。
ただこの度は疑問を感じた。
いわゆる美人というものに北斎自身が魅力を感じていないのではないかと。
美人画の主人公は売れっ子花魁、つまりが遊女たちであることが圧倒的に多く。
それはつまり高級売春婦といってしまえばそれまでなのだが、実際はパフォーマーでもあり、時代のファッション・リーダーでもあり、世間の同性たちのあこがれの的でもあったというところが、この時代のおもしろさといえようか。
これ、現代でいえばどんな職業なのだろう。
性別や職業のありかたや価値基準がまるで変ってしまっているので一概にはいえないのだろうけれど。
現在の吉原のナンバー・ワンと浮世絵の時代のそれとでは、まるで別ジャンルにも思えるし。
トップのファッションモデルだろう、とか。
あるいは女優とか、歌手とかアイドルといってみても、言い得た感触はないよなあ。
海外では映画界にはびこるセクハラやパワハラの告発が芋づる式に騒動となっているようですから。
だいたい現代とかいうやつは、これら花魁を表で扱うようなうつわすら備えていないのですな。
そこへいくと浮世絵の時代は『美人』という範疇のメインが風俗嬢であるところがユニークなのだ。
仮に現代ならどうだろう。『風俗嬢』という範疇に『美人』を見出して甲乙つけることは、一部ではあっても、その逆の成立はむずかしいんじゃないかと。
浮世絵の時代は『美人』の条件に職業を云々しないのであーる*1。
ともかく、彼女たちはスターであったことは間違いなさそうだ。
んで、北斎が魅力を感じていたのは、そういう生活臭のないスター様ではなくて、身体の線のくずれた年増や醜女、市井の生活者のほうだったのではないかと。
つらつら。
当然、常設展も覗く。
やはり雄大な自然のなかに生きる人びとや、彼ら生活者のおかしみを漫画にした絵のほうが、あたしなんかには生きている絵に見えた。北斎の場合はね。
こちらのスペースはちょっとしたアトラクションになっていて。
画面タッチで北斎の筆遣いを真似ることができるコーナーがあり、たのしい。
それと晩年に娘と過ごした四畳半が原寸大で再現されている。
そこに作画中の北斎老人とそれを見守る娘お栄の蝋人形が展示されてある。
鍋釜の生活用品がその室内にはおかれていなかったが、奥の戸の向こうに土間くらいは付随していたのだろうか。
長屋だろうから洗い場や厠は共有だろうけれど。
観覧者側の壁は展示のために抜かれていたが、そこは本来どうなっていたのか。
障子を隔てて縁がわになっていたのか。
この時代の長屋のつくりが気になった。
企画展は4/8まで。
余話。
そもそもこの日は東京江戸博物館をめあてに両国へ行ったのだ。
入口までたどりついてやっとその日が『休館日』であることを知った。
なにやってんだか。
ただちに予定を変更す。
博物館のすぐ北側にある『旧安田庭園』見物へと。
ところが調度お昼どきで。
まずは腹ごしらえを済ませてしまおうと、周囲を散策した。
んが、手頃な飯屋がない*2。ちゃんこ屋ばかりだ。
店頭に元三役力士の等身大肖像が、で~んと仁王立ちである。
そんな感じじゃないのね。こっちは。
とりあえず、でいいのよ。
松屋とかガストといった敷居のひく~いとこでいいの。
けど、申し合わせたかのようにその手のは出店していないのであーる。
そのせいで駅前のマックだけが唯一ポップな風情をかもしだしており。
あたしのようなとりあえず派をひきつけて、できた行列は店外の歩道にまでのびていた。
それはそれでパスだわ。
並んでまでいただきたいとは思わないのだな。マック。
結構な距離を歩いてやっと券売機式の蕎麦屋をみつける。
季節限定を謳った春菊天そばをいただいた。
まあ、可もなく不可もなく。券売機式の蕎麦屋さんのお蕎麦でした。
移動したせいで安田庭園からだいぶ距離が離れてしまった。
引き返すのも面倒だ。
スマホであらためると現在地近くに『すみだ北斎美術館』なる施設がある。
ちょうど北斎の描いた美人画の特集しているという。
というわけで安田庭園はあと回しにして、こちらをのぞくことにした次第であーる。
観覧後、合羽橋商店街をひやかしながら歩く。
アルマイトの給食用食器ボールを購入。
なんかね、ずっと惹かれてたのよ。
あのシンプルさと頑丈さに。
小学校のころの給食で使ってたアレ、最強なんじゃね? と。
刑務所っぽさもあるし。
あっちゃダメだろうが。
あとはトレイも探してくるべきであったと帰宅してから反省。
☾☀闇生★☽