立川志らく著『立川流鎖国論』梧桐書院 読了


 全体の構成として、ふとい一本の流れを感じさせることはできなかったようで。
 彼が主宰する劇団の話は、そこまで頁を割くほどのことなのかとも思い。
 といって、ファンが期待するような談志にまつわるエピソードも、思いつくままに書きとめている感じで、どこか尻切れトンボ。
 加えて、著者自身の弟子についてのエピソードが綴られているのだが、もっと肉付けできたのではとも思う。
 ならば、いっそ著者と弟子の関係にしぼって一本貫けば良かったのかもしれない、……などとつらつら。
 それじゃあ何かい。つまらないかのと言われれば、一気読みをさせる引力は十分に持っており。
 けれど、それもひとえに談志への興味がさせるものであるわけ。
 それを立川流の次代のカナメのひとりである著者が語るのであるから。


 ところで、
 やめて行った弟子についてのくだり。
 彼らは一様に音信不通となり、時節のあいさつひとつしなくなるそうな。
 仮にも師匠と弟子の関係を結んだ仲だ。むろん師匠側からスカウトしたのではない。そちらから勝手に惚れて頭を下げたので入門をゆるし、プライベートな空間にまで立ち入らせ、わずかながらも人生の一瞬をともに過ごした関係ではなかったのか。それなのに、やめたら最後あいさつひとつなくなるばかりか、またぞろネットで悪口を書き連ねる、云々。
 当然、志らくはそれに憤る。
 なるほど、それは落語家としての挫折である一方で、弟子入りを恋愛にたとえるところの失恋でもあるということだ。
 であるならばこその、音信不通なのか。
 悪口なのか。逆恨みなのか。
 恋愛もそうでしょうが、挫折の原因を己に見出そうとするのは、大変に厳しく苦しい作業でなのあーる。
 それは自分で自分を解剖するような。
 だからこそ、相手のせいにする。
 恨む。
 妬む。
 なぜならその方が楽だからだ。
 裏返せば、不義理な楽ちんに身をゆだねるような奴だから、挫折したのかもしれない。


 立川流の師弟関係になぞらえるのはおこがましいが、社会でも似たようなことが起こっていやしないだろうか。
 己を解雇した会社を良く言うやつはいないものだ。
 別れた女房や亭主を公然と賞讃するやつも、あまり聞かない。
 闇生の卑近な経験から言えば、これまでの人生で何十人ものバイトを使ってきたのだが、辞めてのちに自発的なコンタクトをとってくるものはいなかった。
 ただの一人もである。
 むろん、この場合はあたしの非力も作用している。
 我ながら情けなく思う。
 んが、
 今いる会社も、その前にいた会社も、これまでに何人かが退職したが、一様にお互いが音信不通なのである。


 不肖闇生には八つ年の離れた姉がいる。
 信州に嫁いでいるのだが、帰郷するたびに短大時代にアルバイトをした喫茶店へ毎度挨拶に行く。
 ついでにお手伝いまでする。
 司馬遼太郎の自宅のお手伝いさんは何代もいるのだが、彼女たちも何かと言うと集まってくるそうな。
 正直に言って、うらやましい。
 そんな関係が。
 秘訣はなんなのだろうかと思うが、テクや攻略でなんとかなるものではないだろう。
 人柄と人柄の掛け算の上にかろうじて構築されるものなのだ。きっと。







 ☾☀闇生☆☽


 こないだ観たメタリカのドキュメントでも、クビにした初期メンバーとの対話があった。
 彼は当時アルコール依存症で、のちにメガデスを結成して大成するのだが、その告白には悲痛なものがありました。