父の喜寿を祝おうということで週末、故郷に顔を出してきた。
 兄貴の発案でホテルにて食事会とあいなったのであーる。
 着ていくものがないので二十年前のスーツとコートを引っ張り出して、ウエストをちょっち直したのだが。
 仕上がっていざ合わせてみると、きつさのもとはウエストではなく、ケツだったことを知るに至るのだ。
 何より我がケツに知らされた。
 ぎっくり腰予防のために腹筋、背筋とあわせてやらかしているケツの筋トレと、日々の自転車通勤とで、どうやらそういうことになっていたらしかったのだ。
 それでもまあ、見栄え的に支障をきたすほどではないだろうと判断。
 めずらしいスーツ姿を、御一同に楽しんではもらえたようである。
 めでたし、
 めでたし。


 不肖闇生、
 兄貴とは十歳、
 姉貴とは八歳はなれてこの世に生を受けている。
 二人とも適齢期には結婚と出産を済ませているので、その子供たちのなかにはすでに社会で揉まれ始めているのまでいる。
 女の子ばかりだ。
 だもんでチョコ、もらっちった。
 恐縮でごわす。
 父の喜寿の祝いに顔を出して、このひとりもんてば、チョコもらっちったよ。
 気付けば、そんないじらしい気遣いをするお年頃なのである。
 

 終えて日常へ帰還。


 届いていたデヴィッド・フィンチャー監督作『ベンジャミン・バトン』のDVDを観る。
 自然の摂理に逆行して老人として生まれ、
 刻々と若返り、
 やがて乳幼児として生を全うする男の物語である。
 長尺なのはいいが、物語にこまめでリズミカルな緩急が欲しかったぞと。
 過ぎ去ることで痛みや悲しみから我々を守り、して決して留まらないことで若さや幸福をレアに保ち続けてくれる、時間というもの。
 その絶対的な摂理をあらためて感じさせるには、そこから逸れてしまった人物を描くことがもっとも効果的なのだろう。
 そういう意味では『アルジャーノンに花束を』(小説)を連想した。
 あれは号泣したけどね。
 勘弁してくれっつーぐらい泣き明かしたけどね。


 んで、あれだ、
 このたびチョコをくれたジョシどもよ。
 いいか、
 聞いとけ、


 命短し
 恋せよ乙女
 あかきくちびる褪せぬまに


 をじちゃんは、
 非力だし、
 まるでいいとこないが、
 無条件に、
 くわえて駆け引きなしに、味方だかんな。





 とーーーきがーー、
 もーどーせーたーーーーならばーー♪
 嗚呼、名曲だ。
 




 ☾☀闇生☆☽


 都合四時間も自転車をこぎ続けていた。
 現場の往復に二時間。
 本部へ二時間。
 途中、四十分も立ちこぎで上り続ける坂道があって。
 もはや全身が痛いし。
 ひりひりするくらい寒かったし。