そう、
 たとえばトランプだ。
 人が集まって、そこにワンセットのカードがあると。
 となれば、
 さてなにして遊びましょうかと。そんな流れになることがあるでしょ。
 で、
 さっそくお互いにトランプスキルの探り合いをしますわな。


「セブンブリッジはどう?」
「豚のしっぽ、知ってる人」
「戦争は?」
ブラックジャック
「どんちっちやろうよ」
「やだっつの。せわしいし。ポーカーだっつの」
「どんちっちい」
「ぽこにゃん」
「んなの無いし」
「どんちっちいいぃ」


 ともかく、その場の全員が知っているゲームに、まずは落ち着く。
 仮にそれがババ抜きだったとして。
 何戦かしているうちに案の定飽きてきますわな。
 すれば、さて次は何やろうかとなってくる。
 ところが、どうやら全員がルールを知っているゲームは他に無いようだと。
 となれば、むろんできるだけ多くの人が知っているのを選ぶことになる。


「じゃあ豚のしっぽね」


 けれども、
 だからといってそれを知らない人をカヤの外にはしないものだ。
 その知らない人へ、誰かがおおまかなルールを説明してやり、
「ま、とりあえず一回見てて。したら、すぐ覚えるよ」
 なり、
「とにかくやってみれば、わかる」
 と巧みにリードしてくれる、はずだ。
 とどのつまりが、


 Shall we dance?


 ならばそれを拒むのも野暮てんというものしょう。
 そしてそれこそが、価値観の違いの愉しみどころなのではないのか。
 自分を広げるきっかけといっていい。
 ところが、豚のしっぽの解説をしてくれようというその親切な誰かさんの鼻っ面に、こともあろうか、


「あ。俺、それ興味ないんで」


 と吐き捨てて、顔を閉じてしまう人によく出くわすのだな。
 残念だ。
 やむなく、その座はまたババ抜きを始めると。
 すると彼の顔はたちまち開き、輝いて、嬉々としてゲームに興じる。
 ところが、
「次、どんちっちやろうよ」
 で、また閉じる。




「興味ないんで」



 
 ババ抜きしか知らない人生。
 それも勝手ではある。
 ぜひともその道を極めてほしい。
 けれど、少なくとも座に居る以上は、おんぶにだっこであやされているのを恥らうべきかな。
 職場にしろ、
 得意先や取引先相手にしろ、
 学校にしろ、
 その場の話題が、四六時中いつも自分の興味の範囲のみでやりくりされているときは、ちょっち疑ってみたほうがいい。
 ひょっとして、俺のことしか話してないんじゃ、と。
 問われるままに、自分のことばかりを話すだけで質問せず、気がつけば周囲の人の何も知らずに過ごしていたりする。


 店長として長年アルバイトのご機嫌うかがいばかりをやっていると、そう思うことが少なくないのだ。
 世界に対してちっぽけな、たかだか自分である。
 そんなひとりの興味である。
 興味、という本来外向きのものを壁にしなさんな。
 その外の方が、広大に決まってら。















 どんちっちも面白いぜ。


 ☾☀闇生☆☽







 追伸。
 どんちっち。
 別名スピードといふ。
 うちらの故郷じゃそういったのよ。
 カードを出す時のかけごえが「どんちっち!」
 せーのっ、で切るよりはリズミカルよん♪