なんとなく降りた駅の街を、当てもなく歩こうという休日企画。
なにが企画だか。
で今回は、読んでいた本の切りのいいところで、と決めた。
神保町である。
たまというバンドがかつて「神保町顔のTシャツの前で〜♪」と歌った、あの街である。
だれがそんなマニアックな歌知るのかという話だが。
知ったことではない。
たぶん初めてだろう。訪れたの。
さっそく面白そうな裏路地を求めてカメラ片手に地上出口を出た闇生だが、ものの数十メートルで古書店の店頭陳列にとっつかまった次第だ。
お。
とタイトルに目を奪われ、
時間を費やされて、
我に返るともう日が沈もうとしているではないの。
読めもしないのに、
そしてそんな時間も労力もないくせに、厳選して購入したのが今回の二冊。
『覚書 幕末の水戸藩 山川菊栄著』
『一遍上人 旅の思索者 栗田勇著』
前者は、不肖闇生の出身地にまつわる歴史についての興味からで。
あのあたり、史跡らしい史跡が残っていないのよ。
お城は無論のこと、町並みなんか見る影もないし。
地元で育ってさえも『桜田門外の変』と『水戸黄門』ぐらいしか知らないという体たらくだ。
常陸国風土記も、そして民話ですら義務教育では教えられなかったのだから、いったい何やってんだか教育機関。
資料館があるのを知って数年前に訪れたけれど、無味乾燥だった。
しら〜として、おもしろくともなんともない。
平日だったこともあったけれど、あたししか居なかった。
係員のおねーさんの方が多かった。
あれじゃ郷土愛なんて育つわけがないでしょ。
そもそも社会科見学にも、修学旅行にも、地元は選ばれなかったし。
唯一、中学だったか、住み慣れた町の見慣れた山が実は前方後円墳だったというのを知らされて驚いた記憶があるくらいだ。
といって、関連書籍も日常的に触れる機会は少ないしね。
強いて探さないと、無い。
後者の一冊は、法然〜親鸞〜一遍へと受け継がれ、研磨され、純化されていく念仏への興味から。
たった六字の『南無阿弥陀仏』の解釈をめぐる思想への好奇心ね。
それを端的に説明した岩波の『南無阿弥陀仏』というのに、若いころに触れた。
頑張って読んだ。
で以来、ずっと気になっている。
まあ、
といっても自分の家の墓の宗派すら知らないんですけどね。あたしゃ。
歴史的に見て、ひとつの宗教・宗派が国を独占したことが無いじゃないですか。日本てば。
なのにこの六字だけは、宗旨を超えて誰でも知っているという謎。そこなのね。
興味の出発点は。
なんか絵も多いし。
けど、通勤電車ん中で読める体裁ではないなあ、これ。
帰宅すると細野さんの新譜が届いた旨のメールを受信。
いそいそとローソンに引き取りに。
これは明日からの仕事へのバッテリーにする。
☾☀闇生☆☽