壁の言の葉

unlucky hero your key

 
 シナモンというバンドがあった。
 過去形にしてしまったが、今でもあるのかもしれない。
 知る人ぞ知るレッド・ツェッペリンの完コピバンドである。
 本家ツェッペリンの初期にはDazed And Confusedという代表曲があって、これはスタジオ版では五分程度の作品なのだが、ライヴではなんと三十分もの大曲に展開される。
 曲中、ギターのジミー・ペイジによるヴァイオリンの弓を使ったパフォーマンスがつとに有名で、なんと彼らシナモンはそこまできっちりと再現するのだ。
 ばかりかボンゾ(ジョン・ボーナム)の怒涛のバスドラ『ツドドツドド』までもがっつりとかましてくれるのだから、ただただ畏れ入るばかり。
 そんな彼らのショーだ。ツェッペリンファンは、突き抜けた馬鹿の、愛らしさを見にやってくる。
 言ってみりゃ、愛すべき馬鹿野郎である。


 上京したてのある日、そんな彼らのライヴがあると知った俺たちは、
「必見なり」
 友人たちとはしゃいでいた。
 本物のツェッペリンは見れぬが、シナモンなら見れる。
 演奏力ならひょっとしたらシナモンのほうが上かもしれぬのだし。
 なんてったってペイジのミスタッチまで忠実にひろう連中だ。
 テンションもあがって当然だろう。


 記憶が正しければ渋谷エッグマンの深夜の回だった。
 あたしの住んでいた四畳半のアパートからなら歩いていけない距離でもなかった。
 ならばと、我らケツ青きバンド青年三人は、闇生の侘び住まいに集結し、頃合を見て西参道を渋谷へと向かったのである。


 そこに思わぬ不幸が待ち構えているとも知らずに…。


 さて、歩き始めたはいいが、あまりにのんびり構えていたために――、
 そしてまだ故郷の時間感覚を引きずっていたために、どうやら開演時間に間に合わない。
 ちなみ言えば、それはほぼ朝、昼、夜の三分割の時間感覚だ。
「夕方頃に遊びに行くから」
 とかなんとかね。
 焦るあまりにケツ青一号が、こともあろうに路上の自転車を拝借してしまった。


 すまん。


 昭和の終わりの話である。
 それも二台。
 闇生はその一台に乗った。
 一号と二号はもう一台に二人乗り。
 このへんの感覚も、田舎を引きずっていたのだろう。
 てか、ゆるんでいた。
 そうしてへらへらと馬鹿話をしながら、あらためて一路渋谷を目指したのであーる。
 ヘンテコな乗り方をして受けをねらったり。
 それはそれは、こうして書きながらげんなりしてくるほど、救いようのないアホをやったもんである。
 んで、
 かく云う闇生、
 ふと思い立って、極端に姿勢のいいこぎ方でふたりを追い抜いた。
 気分は山高帽の紳士である。
 しかもめっちゃ早い。
 そんなものに「ふと」思い立つのもなんなのだが、テンションが上がっているから、ウケるのだ。
「待てよぉぉぉ」
 の声を背中に聞いて、次の曲がり角までびゅんびゅん飛ばして、隠れた。
 相手はふたり乗りである。
 待ち伏せて脅かしたろうと、そう考えたのだが、物陰から後方をうかがうと路肩にパトランプが点滅しているではないか。


 まさか。

 
 あわてて自転車で引き返しかけたが、その自転車もまた拝借したもので。
 考えた挙句に、徒歩で引き返した。
 いまでもまざまざと思い出すが、歩道に自転車が立てられて。
 それを警官が調べていて。
 回転灯をきらめかせたパトカーのドアが開け放たれ、なかには黒い人影。
 それが我が一号・二号なのかは分からなかったし、覗き込むのも憚られた。
 妙に接触をこころみて怪しまれれば、もう一台の自転車のこともあるから、やぶ蛇になるだろうし。


 あたしゃ、しれ〜として通り過ぎたのだ。

 
 して、街路樹の陰に潜んで見守っていると、やがてパトカーは動き出した。
 押収した自転車をトランクに積んでいたと思う。
 あたしゃ居てもたってもいられなくなって追ったが、追いつくはずも無く。
 いったいどこの交番か、派出所に連行されたのかも、予想できず。
 すごすごとアパートにもどった。


 あの時、ほかにどうすれば良かったのかは分からない。
 けれど、まざまざと『チキン』な印象を彼らに焼き付けことだけは確かで。
 実際のところ、今もチキン紛れも無い。
 ウケをねらった追い抜きも、パトカーを察して自分だけ逃げた、と。
 そんなことになってしまった。

 
 それはいい。
 先日の友人と会ってこのときの話になった。
 むろん笑い話としてである。
 あたしの知らない取調べの様子を、今になって教えられた。
 罪が重いのは自転車を調達した一号のほうで、彼はじっくりとお灸をすえられた。
 情状酌量をたぐり寄せる演技なのか、はたまた本気なのか、彼は子供のように泣いて、
「親には言わないでぇぇぇぇ」
 そう叫んでいたという。
 今だから笑えるが、上京したての、なによりも実家には心配させたくないという当時の切実な心境がこの叫びには、ある。
 ましてや、自転車の持ち主に直接謝りに行っても、被害者は一号をゆるさなかったのだ。
 コトはだらだらとこじれ。
 厳密に法的処置を科せられた。


 

 にがいなぁ。




 思い出話というものは、それを回想する現在が充実していてこそ。
 いまの闇生は、あまり過去を懐かしむ精神状態にはない。
 現状で振り返れば、見渡すかぎりの荒野だもんでよ。
 恐怖すら覚えるよ。
 子犬のようにぷるぷるしちゃうよ。
 笑って語れる過去は、きっと未来に作れるさ。
 なんていう歳でもないのかもしれんが。まあ、そういうことにしといておくれ。
 未来に会う君よ。
 君たちよ。

 
 ところで昨日、
 近所のお菓子屋に立ち寄った。
 人の行きかう入り口付近で、ランドセルの女の子が泣いていた。
 女の店員に諭されて、手提げのなかをあらためさせられている。
 せめて控え室でやってくれないか。
 良かれ悪しかれ、その子の生涯の記憶になるのだ。
 あっさりゆるしてやれ、とはいわん。
 といって、杓子定規ではかったように厳しく処理しろ、ともいわん。
 どうするにせよ、
 その子の人格形成の一端にかかわるつもりで、わずかでも、きちんと向き合って判断してくれよ。
 どうかたのむ。





 ☾☀闇生☆☽