壁の言の葉

unlucky hero your key

当たり前のヒーロー。

 都心の現場。
 イヴの深夜のこと。
 現場付近で何か落とし物を探しているようなそぶりの若い女性の姿あり。
 現場代理人が見かねて声をかけたのは彼女が美しかったから。……だけではないと信じようぢゃないか。
 訊けばなんと指輪を落としたといふ。
 しかも婚約指輪だと。
 すわ、いち大事!
 と、手の空いている仲間が指輪さがしをおっぱじめる事態となった。
 大のおっさんたちが歩道にしゃがみこんで植込みや物陰を捜し歩く。
 結論をいうと、無事に交番に届けられていたそうなのだが。
 その数分前、現場に横付けするようにあたしの目の前にタクシーがとまり、その女性は乗客をとして降車していた。
 同乗していた男性が精算を済ませるのも待たずに、彼女はすたすたと、しかもちょっと怒ったような表情で歩き去った。
 事情を知らないあたしとしては、カップルの喧嘩だろう、といった印象を抱いた。
 まもなくイケメンの彼氏があとを追っていく。
 その時点では、ひと晩に数百人は現場を行き来する第三者たちのほんのひとコマである。
 そしていまから思えば二人は「 この辺だろう 」と目星をつけて落とした現場に引き返してきたところではなかったか。


 指輪と再会できたのち、二人は現場を再び訪れてお礼と飲み物の差し入れをして帰って行った。
 あたしらがめっけたわけでもないのに、
 ありがたし。


 にしても、想像してしまふ。
 イヴの夜だけに、その前後のいきさつをだ。


 指輪は指から落ちたのではなく、袋に入っていたという。
 ならばプレゼントだったのかもしれない。
 だったのだろう。
 指輪入りの小箱入りの小袋だ。
 言ってもカップルには心躍るイヴだもの。
 躍る心は不安定だもの。
 たとえ喜びであってもそのポテンシャルが大きければ大きいほど、ちょっとしたことで逆がわに振れる可能性をはらむ。
 なんかの拍子に心が大きく揺らぎ、言い争いが勃発し、つい、ぽいっしてしまったが、そののち仲直りして……。
 胸の振り子は喜へ、怒へ、哀へ、楽へと、思いの強さのぶんたけ振れ幅を広げるもので。
 なんてことだったかもしれない。


 ともかく、落とした指輪は交番に届けられていた。
 そこんとこをあたしらは当たり前に考えてはいけない。
 んが、
 そんな行いは当たり前にやらかすような自分でいようではないか、と。
 その届けたお人は紛れもない当たり前のヒーローなのだな。


 往々にしてヒーローは、あたりまえだ。


 そこで思ふのだ。
 年末の寄席といえば、やはり芝浜がかけられることが多いのだろうか。
 酒浸りで働かない亭主が大金を拾った。
 これからは贅沢三昧だと有頂天になる亭主に対し、それは夢だったと嘘をついて亭主を社会復帰させる女房。
 それを単純な人情噺として演るとうけるのだろう。
 んが、どうもそう単純なものではないと思ふ。
 三年後、女房がネタバラシをしてお祝いに断酒していた酒をすすめるくだり。オチ間際。
 一之介は、やめていた酒をそこですすめちゃだめだろう、と云ふ。
 けれど大人になって客が喜ぶからあくまで商売として芝浜をやるのだ、といまTBSラジオの『 たまむすび 』で発言していた。
 どうだろうか。
 社会から逸脱するほど酒におぼれる状況というのは、現代でいえばドラッグ中毒のようなものではないのか。
 たとえば有名人が禁止ドラッグを使用して逮捕される。
 刑期・リハビリを経たのちに「 もう二度としません 」などと宣言したとしても、そこに真実味が感じられないのは目の前にブツがない状況だからにほかならない。
 問題はその後だ。人目に付かないところでブツをひょいと出されて「 ホントは欲しいんだろ? やっちゃいなよ 」と誘惑されたときにどう対処できるかではないのか。
 そこを「 また夢になるといけねえ 」とかわす妙。
 それが芝浜だ。
 夢( 幻覚 )が現実で、現実が夢(幻覚)になるという倒錯。
 いや、夢を現実(常態)にしておきたがる。
 それが中毒者の実情ではないのか。



 すまぬ。話がそれた。
 この話の面白みは、そこだけじゃない。
 拾ったカネを、結局はネコババしてしまってめでたしめでたし、なところである。
 亭主の社会復帰のために嘘をついた女房も、ネコババに同意している。
 そこんとこの人間くささが面白いんだ。そこをきちんと押さえた演者ならば、説教臭くはならない。
 その点は黄金餅も、同じ。
 人の道をそれるような行いでまんまと手に入れたカネで商売を始めて、大成功しちゃうんだもの。


 でね、
 それが落語の面白さでありつづけるには、現実社会に「 交番に届ける 」当たり前が当たり前でありつづけてこそなのよ。
 


 ではみなさま、どうか当たり前でいてください。
 よいクリスマスを。




 闇生