甲州道中。つづける。
八王子バイパスを潜り抜けたところで、左斜めの脇道へと入る。
約300mほど20号からそれることになるこの道。
よろしいの風情であーる。
大型のばんばん通るような国道より、こんな道を行きたいぞ。甲州道中よ。
その途中に、地蔵や石仏が集っている場所があるのもまたよろしと。
それぞれがかなりの古さで、
道標もあってそこに刻まれた文字は「江戸むら大和田道」と読めた。
ん?
お供え物が、なんか……。
このあたりの風習なんすかね。
カニのはさみと思しきブツが供えられてありました。
この脇道を抜けると多摩川の支流・浅川に架かる大和田橋の北のたもとに出る。
解説板が立っていて、橋の歩道に点々とある色の違うタイルは、終戦間際に米軍に落とされた焼夷弾の着弾ポイントだという。
その数、17か所。両方の歩道だけで。
橋の全長は150mあるかないか。
タイルの示す着弾点の密集度から計算すれば、車道部をふくめれば全部で50以上の着弾があっただろうととのことだった。
確かに橋や鉄道は、人はむろんのこと物資や弾薬も運ぶ動脈のようなもの。
であるならば、戦闘ともなれば攻撃目標として最優先される対象ということでしょう。
そして、こうした形で歴史を遺すというのは、いいアイディアだと思う。
橋を渡り切ったらただちに20号からそれる。
西へ。
市立五中交差点の一通に入る。
『竹の鼻の一里塚跡』の石碑が公園の植え込みに建っていた。
この公園のなかに永福稲荷があり、
また力士、八光山権五郎の等身大像がどーんと。
まだ力士が専業ではなかった時代だそうで、多くが兼業でなにかしら仕事をしていた。
なんせ相撲協会設立以前の話なのだ。
権五郎の場合は絹問屋だったと。
その商いのかたわら、自腹で各地の相撲大会に出かけて行っては土俵を踏んだそうな。
思うにスポーツや大相撲という概念ではなく、
神事の意味合いの強い時代だったろうし。
相撲は古くから五穀豊穣をねがう儀式の意味合いがつよいとされるから、郷里は崇めますわな。彼を。
優勝して凱旋すればただちに権五郎フィーバーとなりますわな。
CMや講演会に引っ張りだことなって手形Tシャツやフィギュアなどのグッズは飛ぶように売れて。
武勇伝は映画になりゲーム化されて、
さらにシリーズ化され、
ハリウッドでリメイクされ、
出版した自叙伝はミリオンセラーに。
時の人となった権五郎は、生活も派手になる。
しかし直後にゴーストライター疑惑が浮上し、
西の地蔵に私生活を暴かれ、
東の地蔵には性生活を晒されて、
告発した自称ゴーストライターへのセクハラまでが発覚すると。
自称ゴーストライターは一躍悲劇の人として脚光をあびるのだが……。
彼はなぜか多くを語らず闇の洞窟にこもってしまうのであった。
数年後、
失意の放浪を経た権五郎はせめて自称ゴーストライターの誤解をとこうと決意。
いっさいはこの地の鎮守とされる永福稲荷を目覚めさせまいとする西と東の地蔵による陰謀だと知ると、
決闘を挑み、激闘の末、まずは西の地蔵を倒し、
次いで東の地蔵を倒すと闇の洞窟へと急いだ。
固く閉ざされた扉の前で権五郎は、自称ゴーストライターの心を開くべく、彼の好物であるカニのはさみをささげ、渾身の四股を踏むのだが、
その時ーー。
つづく。
☾☀闇生★☽