少年は成長するからこそ、
もしくはその可能性を膨大に潜在させているからこそ、少年なのだ。
言い換えれば、未熟だからこそ、の少年。
そんな少年が声高に叫ぶ未来や正義観が、物語の最後まで貫かれて、はいそれでめでたしめでたしではいかんだろ。
少年にして完成しているならば、それは少年にあらず。
少年は誤り、そして成長するからこそ少年であり、また成長すれば少年ではなくなってしまうという哀しみの存在なのだ。
少年の未来は青年であり、大人であり、老人だ。
成長・老化という時間経過を認めてこそ、未来は語られる。
少年の未来と成長を肯定するのは、とどのつまり、老いの肯定でもあるわけ。
老いは、いま手で触れられる『少年の未来』なわけ。
若者と老人の問題は分けて考えるのではなく、常にひとつながりの連続性として捉えておくべきなのだ。
永遠の少年?
くそくらえ。
☾☀闇生☆☽