老齢になってから徴兵制を称賛し、自らは安全と平和を満喫して鼻毛をのばしつつ、後方から若者批判をするのは確かに人としてくだらない。
カスだ。
んが、
そういう批判を、兵士として適齢と考えられる若者がしているのも、レベル的には同じではないのかな。
自由とは、銃とセットで手にしたのだろうに。
民主主義を堪能しておりながら、けれど国防は拒むとは、これいかに。
国防はおかみに任せて、それでいながら民主主義の恩恵だけは頂戴するとはこれいかに。
それこそが後方の鼻毛野郎ある。
自衛してこその民主主義でしょうが。
徴兵とワンセットだろう。
国際的に「市民」とはそういうことだろうに。
ましてや、昨今は老人でも扱える兵器は山ほどある時代である。
ぽちっとな。
くわえて、福島の原発事故のとき、
自らすすんでその危機の対応に名乗りを上げた老技術者たちの少なくなかったことを思いあわせれば、そうそう老人=好戦but他力本願とは言い切れんだろう。
この国のために自ら進んで命を投げようという気概を持つ年寄りが、少ながらずも居る、という事実。
若者を若者としてひとくくりにするのもナンだが。
年寄りを年寄りとしてひとくくりにするもんでもない。
なめるもんじゃない。
見限るもんじゃない。
この国の国がらを。
未来を。
少年の未来はおっさんであり、おばさんなのだから。
おっさんおばさんたちの未来は、じいちゃんであり、ばあちゃんなのだから。
先の大戦にかりだされた若者たちも、
やはりそういう愚痴を抱いたのだろうか。
年寄りたちめ、と。
維新の志士でもいいけれど。
西郷や竜馬や桂が。
老若ともどもに忘れがちだが、
老人のことごとくは、元若者なのであーる。
老いへの否定は、未来への否定であり。
若さへの否定は歴史の否定であり、自省の欠如である。
☾☀闇生☆☽