という名の生物がいる。
二種類いる。
ひとつは池のなかに棲んでいて、もうひとつはしみったれた昭和風情の、それこそ松本零士作品に出てくるようなアパートで日夜絵を描いたり、磁石を埋め込んだ立体物をつくったりしている。
ビールばっか飲んでる。
その後者の作品たちと、深夜に再会を果たす。
大掃除をしたのでね。
近年はもっぱら立体物ばかりらしい。
んが、絵もいいよね。
いかんせん創作ペースがアレなんで、彼のホームグランド『ニヒル牛』でもなかなか実物に出くわすことがないのだが。
立体はとくにコピーして補充できるわけもないから、売れたらそれでおしまいだ。
気まぐれで気分屋さんでもあるから、自分でつくったシリーズも、なし崩し的に麦泡に帰す次第でえ。
はやくプロになっちまうか。
もしくはモノ好きな女子のヒモにでもなって創作に集中してくれまいか。
ベオポン
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ブログの更新が止まってはや一年。
ツイッターも止まってるね。
かつて松尾スズキが言っていた。
イッセー尾形の初期の、あの暗さに惹かれると。
立川志らくは云ふ。噺家の名人たちのことごとくが、その根っこのところに暗さを持っている人たちだと。
ビートたけしもそうだ。
北野武としての映画も初期はすべてその暗さの魅力で満ちている。
髪を切るまでの松本人志しかり。
ミュージシャンでいえばYMOまでの坂本龍一しかり。
そもそもピースフルでポジティヴな人に表現欲は要るまいて。
伝えたい、は伝え難いものをどうしようもなく抱え込んでいてこその意志である。
生きづらさの所産である。
ケンミジンコにもそれを感じるね。
☾☀闇生☆☽