なんかね、上のようなことをのたくっていると、誤解されるんだ。
まるで犯人を擁護しているかのように。
極刑はまぬがれないし、そこはきちんと、まぬがれさせてはいけないと思う。
んなこた、当たり前だ。
同情しようというのではないの。
しちゃいけないし。
狂気への怒りに任せて、こっちまで狂気を抱いたんでは、何も見えてこない。
でしょ?
まるで暴れ馬を処分するようにして、それではいおしまいでは、どうかと。
おそらくは彼の『気分』には共鳴できる、という奴は少なくないと思うのだ。この国に。
行動は許せないとしても。
だから、ね。
かつて国宝の寺院が放火全焼された事件があった。
それを下敷きにして、三島由紀夫は傑作『金閣寺』を描いた。
犯人と、その時代を彼なりに洞察して、苦悩して、書き上げたんだと思う。
三島は、犯人を単なるモンスターには見立てなかった。
あれも時代を映した事件だったのだと思う。
ならば現代ならどうだ。
ここ一連の残念な事件が、我々に突きつけられた時代の課題になっているのでは。
無差別殺人は、人を人とみなさずに殺める。
だからって、こちらもそのレベルに付き合って、彼をモンスターとみなしたのでは、どうだろう。
あくまでこちらは人として、彼を人とみなす。
それが人の振る舞いなのでは。
そのうえで刑を処す。
人の道を外したものを裁けるのは、人だけなのだから。
☾☀闇生☆☽
RadioheadのBest盤が出たのかな。
ゆうせんのNewDiscチャンネルで、繰り返しかけられている。
ああやっぱりいい曲だな、と思う。
くやしいくらいに。
けれど、こういう気分のときには、えらく沁みて、つらい。
High And Dry♪
犯人の書き込み全文。読みながらいろいろ考えてしまった。
周囲に自殺を予告しても諌めてもらえず。
今度は不特定多数(世間)に向けて、無差別殺人をほのめかしても、誰にも止めてもらえず。
となると、今度はその黙殺した世間にむけて牙をむく。
あの書き込みはなけなしのSOSだ。
甘えには違いないが、その甘えで人は、あそこまでのことをしてしまう。
かつて坂本龍一がね、
世界の不幸に対して、音楽家にできることは、一瞬の気晴らしを提供することぐらいと。
俺たちは無力だと。
でも、たかがそれっぽちだけれど、やるしかないと。
無力なもんか。
友達がいなくても音楽に、小説に、いろんな声が込められてるよ。