壁の言の葉

unlucky hero your key


「年末、やってんの?」


 朝も晩も、ひっきりなしにそう訊かれた。
 レンタルビデオ屋に勤めていたころの話である。
 年の瀬の会員さんからの問い合わせは、ほとんどがこれであった。
 そこで営業時間を教えると、


「じゃ、正月は?」

 
 このやりとりは、判でおしたように同じである。
 つまりはコピペしたがごとく。
 で、摩訶不思議なことにそう訊いてくる人に限って、正月に来店しない。
 それはもう、ものの見事だ。
 なのに、毎年同じ人が同じように訊いてくるのである。
 なぜだろう。
 もとより看板には『年中無休』とあるわけで。
 ばかりか、臨時に案内を貼り出してもいる。
 それはもう、でかでかと。
 だから、その期間内の利用を具体的に考えている人ならば、すでにそれを目の端で確認しているはずなのである。
 訊くまでもない。
 にしても、問い合わせはあまりに多かった。
 挙句、上記のやりとりをもっと簡潔で明瞭にできないかと考えて、こう答えてみたことがある。
 

「はい。年中無休です」


 どうだ。
 すると、こう返された。


「じゃあ、年外は?」


 『年内』という言葉があるくらいだ。
 そんな言葉もあるやもしれぬ。
 あるのだろう。
 けれど『年中無休』の『年中』とは年がら年中の『年中』のことである。
 休まん、ちゅうことだ。
 ともかく、明らかなのは来店するつもりのない方がそれを尋ねてくるということ。
 それが長年の謎であった。


 人はなにゆえに、利用もしないことを確かめるのか。
 訊かれたからにゃあ、こっちゃ来店を期待するっつのに。
 正月返上だっつのに。
 もお。


 ひとつには、時節の挨拶がわりなのだということが、このたび目出度く判明するに至った。
「寒くなったねえ」
「暖かくなってきたねえ」
 のようなものだ。
 情報のやりとりが目的なのではない。
 会話すること、そのことに意味があるのだ。
 そう、コミュニケーション。
 ありがたし。
 &かたじけなし。
 

 もうひとつは『正月』なるものの形を確かめようとしているのだということ。
 自分が休んでいるときに、社会の何が停止して、何が動いているのか。
 その普段との相違。
 それを利用する・しないには関係なく、自分を包んでいる世間というもののプロポーションを認識しておきたいと。
 どのへんがボンッで、どこがキュッなのか。
 ましてやバンッは何なのか。
 自分とは関係のないことがあくせくと活動していることを確認できれば、わが身のOFFが実感できるわけ。
 それは社会をひとまず他人事として眺める作業。
 そこに我々は『正月』を感じようとしているのではないかと。
 感じて安心しとこうと。
 俺、休んでるじゃん、と。
 

 やれ帰省ラッシュの渋滞が何キロだとか、帰省もしないのに話題にするし。
 やれアメ横の混雑中継だ、やれ予備校の決意式だ、なんかフンドシのおっさんが集団で海に入るやつだとか。海外脱出組の芸能人だとか。
 にしても『脱出』て。
 あれへの興味と同じレベルで、どうでもいいことながら知っておきたいのに違いない。
 近所のビデオ屋の営業時間を。
 借りないのに。
 そして、
 そんなことの寄せ集めで、世の中なんてもんはできているんだとも。




「正月、やってんの?」
 その問いに客は我が身のOFFを実感し、店員は不休の不憫を噛みしめている。



 ☾☀闇生☆☽