壁の言の葉

unlucky hero your key

 と、
 年の暮れになってどたどたとブログなんぞをはじめてみて、なんだかんだとひと月経ってみれば、うん、なんだったんだかわからない。
 当初はもっとくだらないことを書きまくっていこうと考えていたのだが、ふたをあけてみれば、ICEの宮内さんの訃報が飛び込んできて、それがきっかけでこうなった。
 湿っぽくならないようにと心がけて、できるだけドライにいこうとはした。
 が、持前のへなちょこ加減と、そんなとこも含めて自分の『今』なのだから語らなくてどうする、といった考えとのはざまで、おっさんふらふらっとしてしまった。
 なにより、日が経つにつれてもどかしい。
 ICEって、なんでこんなに知られていないのか、と。
 

 先日、曇天の河辺をウォーキングした。
 i-PODにはICE。
 夜の都会とか、首都高のイメージで語られることの多いバンドだが、なかなかどうして。
 『spirit』に泣く。
 どうしようもなく、泣く。
 けれど、それは悲しさじゃない。
 なんなんだろうか、あれ。
 
 
 話は変わる。
 と見せかける。
 先日、野田秀樹の『キル』を観てきた。
 現代のファッション戦争と、歴史上のチンギス・ハーンの征服を、ふんだんな言葉遊びと時空のジャグリングでもってダブらせた物語だ。
 初演は1994年。
 当時はいまほどネットは社会に定着していなかった。
 しかし、現代にこの物語を再演することによって、手前勝手な『自由』の普遍化という侵略行為が、グローバリズムに重なって見えた。
 つまり十年以上も過去に書かれたこの物語が、きちんと『今』にシンクロしているのである。
 思えはカフカの『変身』も、(いわゆる)引きこもりや、介護の問題として読み取れもするし、井伏鱒二の『山椒魚』もまた然り。
 今を生きる、というのは過去を顧みないということではない。
 ICEの音楽も、いずれ過去のものになる。
 けれど、それは残る。
 生き続ける。
 それには、受け手の想像力を、感受性をみずみずしく保つことが大切なのだな、と思う。
 心の新陳代謝だ。


 来年もたぶん書く。
 くだらないことも、
 えっちなことも書く。
 過去の記事でも何かしら『今』のあなたに感じさせることができたなら、と。未来のあなたに向けて。
 その一瞬でもいいから、たとえまぐれでもいいから、あなたにとっての一番になれやしないかと。
 そう願って。


 おつかれさまでした。
 来年も、よろしく。



 ☾☀闇生☆☽