http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100828/plc1008280701006-n1.htm



 せめて、
 自力で近代を勝ち得たのだと、
 俺たちが自分でやったのだと、
 そんな記憶が世代をつないでリレーされてきたのならば、
 なにも日本がここまで混迷しなくともよかったのではないのか。
 いつのまにか平謝りこそが平和の姿勢だと思い込んで……。


 たとえば士農工商の隔たりを解いちまえば、
 士はむろんのこと、
 農から下々までのみなが士の心意気をもって自分たちで守るはずだと、
 それでこその市民だし、
 有権者でもあるのだし、
 とりもなおさずこの義務と権利が近代への必須条件らしいのだけれど、
 そういう本当の意味での自立を目指すつもりが、
 気づけば一方的に守られることが平和でござると、
 誰かさんに守らせて、
 鼻毛を伸ばし、
 のおのおとひきこもっている。
 棚ボタ式にいただいた近代で、
 損得のソロバン勘定ばかりに励んでいる。
 主体性をもつことを忌み嫌い、
 そのくせ謝罪ばかりは我が物顔で。
 はて、いったい何さまなのか。
 まったくもって先方にも失礼千万な話なのであーる。

 
 せめて、自覚さえできたなら。
  

 自力の自立、の記憶。
 とまあ自力という言葉で二重に強調しておかなくてはならないこの事態。
 立場こそ違えども、
 日本も、
 そしてかの国も、それを求めてもがいている。

 
 
 
 ☾☀闇生☆☽