アニメ版巨人のドシン、
もとい進撃の巨人を数話観る。
オープニングではやくも萎えた。
冒頭のあれ、
空き地に主要メンバーがそれぞれポーズとって突っ立てるのは、何?
イメージ優先に酔ってないかい?
後半、町のいたるところから立体戦闘とやらの態で、大人数が一斉に飛び上がるシーンも、なんだあれ。
あそこからどう戦闘したらいいんだか。
どこだよ、敵。
どこに敵を想定すれば、ああいうフォーメーションになるんだ?
たんにイメージだとしてもね、あんまりだろう。
やらされたキャラがかわいそうだろう。
んで、
壁に、何十年だかの絶対的な安寧を守られていたにもかかわらず、なシーンが散見された。
主に人物のテンションに。
それへの返しの弱さに。
ぐだぐだだ。
平和ゆえの白けムードが充溢していてこその緊迫だろうに。
壁の外を探索する兵士の親方が、遺族に謝罪する絶叫からしてだめだよね。
まずそこで敗北している。
安眠をむさぼる国の兵士の物言いではないよねえ。
すでに巨人におびえまくって、物資も底を尽きた国の兵士になってるよねえ。
それば直後の巨人の襲撃が活きない。
起伏が無い。
初回から感情へのおもねり、安売り大会だ。
よほど準備に時間がなかったと、同情しておこう。
それから構図。
巨人はまず仰視から入るべきではないの? 基本として。
前戯として。
巨人を冒頭から俯瞰とか、目線と同じ高さからとか、ありえないでしょ。
そのカメラが気になって仕方が無いわけよ。こっちは。
ヘリでも飛ばしてんのかと。
この時代にと。
昭和の頃、某俳優が隊長をつとめる、前人未到の洞窟探検番組がはやった。
そのパロディはきまって『いま初めて人類が足を踏み入れる』のに、それをカメラが先回りして撮っていることだだった。
依然として『頑張れ』を言ってはいけな風潮があるらしいから、あえて云ふ。
頑張れよ、おい。
☾☀闇生☆☽