ふと、
 明け方に目が覚めた。
 テレビをつけっぱなしにして眠りこけていたらしく、画面には矢吹丈の姿だ。
 どうやら『あしたのジョー2』が再放映されているようだった。
 あたしにとってのジョー、
 ようするに、あたしのジョーを言わせてもらうなら、いわゆるファーストシーズンとコミックスしかあたったことがない。
 それで真っ白に燃え尽きてしまったわけであるからして、後出しジャンケンなんか「けっ」とばかりに捨て置いておったのであーる。
 つまりが、このたび初めてお目にかけるわけなのだが、ついつい見入ってしまったのだな。
 むろん、
 時代が経っているわけであるからして、
 技術的にも、
 あるいはセンス的にも、
 良きにつけ悪しきにつけ昭和のテイストにむせ返る思いなのだわ。
 けどね、
 演出にしろ、
 音楽にしろ、
 いちいち唸らされる事の方が多かったわけ。
 案の定、演出は名匠出崎統ではないの。
 ああ、なるほどね。
 と知ったかぶりをかましてふんぞり返る闇生の脳裏には、出崎の代表作にして名作の誉れ高い『ガンバの冒険』が甦るのだ。
 

 しっぽを上げろーーーっ、
 おっほっほお、
 おっほっほお♪


 して、のろまのボーボがガンバを呼ぶ声が聞こえてくるのよ。
 あれはやっぱ名作ですって。
 観てない人は、いますぐ借りてください。
 ガンバたち七匹のネズミが、イタチの襲撃に苦しむ島のネズミたちを救いに向かう冒険もの。
 あるいは、こう言ってしまおう。ネズミ版『七人の侍』のようなもの、と。
 闇生にとって最も印象に残っている話が、ガンバたちが山越えをする回で。
 山頂付近にはちっぽけな観測小屋があって、そこにニンゲンがたったひとりで番をしている。
 ガンバたちは息を殺し、彼から身を隠しつつ嵐の一夜を凌ぐというお話だ。
 このシリーズ、基本的にニンゲンの顔が描かれない。
 世界は、一貫してネズミの視点で繰り広げられて。
 そのためベッドの下に潜むガンバから見える足だとか。
 そんな限定をかけているのね。
 その、孤独に住まう男は、夜通しラジオをつけっぱなしにしていて。
 この、孤独の相手がラジオというのが、いいんだわ。
 男の哀愁が際立っていたよ。


 でね、
 これに原作小説があると知ったのは、小学生の何年のことだったろうか。





 (『冒険者たち―ガンバと15ひきの仲間』 岩波少年文庫 )




 かねてから姉に薦められていたのだが、挿絵からしてまるでアニメのガンバではないし。
 リアルなネズミだし。
 つまりが可愛くないし。
 この絵で子供が喜ぶのなら、ディズニー好きはことごとくネズミ大好きになれるはずじゃないか。
 ないかと力まれても、困っちゃうだろうが。
 だもんで、どーにもこーにもあれだなのだ、
 鼻毛の実ほどもそそられずにいたわけなのだ。
 んが、
 読書感想文という、
 少年の永遠に水を差す哀しきノルマの締め切りが刻々と迫るにつれて、忘れたはずの鼻毛の実はむくむくと肥り、ぬくぬくとのさばって、とある夏休みの終末に致し方なく読み始めるに至ったと。
 むうう。
 それがね、
 もう、止まらねえ、止まらねえ。
 ページも、涙も、止められねえんだもの。
 で、痛感したのだ、
 本、恐るべしと。


 これも必読かと。
 


 後年、
 新田次郎の『孤高の人』をはじめとする一連の山岳文学に傾倒したのは、今にして思えば、このガンバの山越えの記憶が作用しているかと。
 ジョーにしろ、
 ガンバにしろ、
 あの時代、出崎と時代がびちぃぃっとリンクしていたことを確認して、二度寝した闇生なのであった。





 ☾☀闇生☆☽


 さっそくディスカスで予約入れたぜい。