なぜなの。
クジラなんて食わなくていい。
食いたいとも思わん、という人に限って、反戦平和っぽい観点に立っているのは。
ひょっとすると、単なるいさかい嫌いという次元での反戦平和なのかな。
平和の後ろ盾こそが自給率だと思っていたのだけれど。
かつてABCD包囲網から開戦へと至った経験は、活かされないのかな?
活かすつもりもないのかな。
単に『戦闘』というイメージだけで戦争を捉えているのかな。
軍事力による後ろ盾を極力排して平和を保とうとするならばこそ、自給率に依らねばならんだろうに。
いや、
あるいは軍事あってのそれなのか、
どうか。
ひとつ背伸びをしようか。
たとえば経済ってのは、
経済それのみでは成り立ちっこないのでは?
いやなに、
あたしの場合、学がないのだからして、日常レベルの視点から想像するしかないのですが。
営業力というものが、
してその成績というものが、営業マン個々人の力だけでは成り立たないようにね。
彼らは看板背負ってますよね。
会社の。
彼らが完全独立してもなお、同じ成績をとるとは限らんわけで。
てか、大概は無理でしょ。
取引先は、こちらの何を見てるのかよ。
いや、あたしたちは先方の背後に何を見ているの?
どうなんだろ。
ライフラインを、
つまりは経済的に生殺与奪の権を握られて豊かさを、次いで活力を失って、ゆっくりと大量に死んでいく不幸もまた、戦争のそれに匹敵するだろうと思うのだけれど。
その不幸は、ゆっくりなだけに麻痺しやすいのだし。
次はマグロでしょ。
温暖化対策も、やり方を間違えれば、己の頸を絞めるのだし。
ばかりか、
このちっぽけな国の本領分野であるはずの科学。そこへの先行投資すら、自ら削減しようとしていたり。
何が仕分けか。
スーパーでその日の買い物をする感覚で仕分けされたんじゃ、未来も投資もあったもんじゃない。
戦争と違って、ゆっくりだからこそ恐いんだ。
戦争は、憎しみの連鎖という諸悪の根源を生む、という。
けれど、それが憎しみと自覚できるならばだ、辛うじてそれを克服せんとする寛容という名の徳が、きっと見えてくるはずではないの?
そこに作用するのが、活力といえるだろうし。
あえて言いたいならば希望と、言ったらよろしい。
言っちゃえよ、
けど毎日少しずつ食事のなかにトリカブトをまぜられるようにゆっくり、というのは、憎悪も活力もない。
ナントカは、三日やったらやめられない、という。
活力を失った上での譲歩というのは、いつのまにか慣れてしまうもので。
ねえ。
ねえ、って言われも、
ねえ。
不肖闇生の勤務先では、社員全員の出勤日数と給料を半分にして、不況の痛み分けということになっている。
でもってあたしなんざはダブルワークとしゃれこむわけだが。
なかには諦めなのか、なんなのか、その週休四日の身分に甘んじて行動しようとしないのまでが、いて。
慣れとはおそろしい。
その四日を死守しようとシフトの臨時交換すら煙たがるようになってしまったぞと。
それでいて何ひとつ動こうとはしない。
生活から規則性が、
つまりは社会性と言おうか、
社交性と言おうか、
ずっぽりと抜け落ちてしまって、
目立って無精になっていく。
周囲は彼を指してこう言うよ。
「終わってる」
と。
カケラも覇気がなく。
仕事も精彩を欠きまくりで。
ミスがおびただしい。
おそろしや。
現状への焦燥感すら抱かないらしい。
どうやら、慣れちまうらしいよ。
話がずれまくっていると思われるでしょうが。
ずれてるのでしょう。
しかしながらあたしにとっては、大切な視点なのです。
人を思うように、国を思おうと。
過度の依存ではなく、
といって孤立でもなく、
凛とした自立をと。
というのもね、
なんだか肩身の狭い居候だとか、
オンナの顔色をうかがって生きるヒモみたいで、
やなのよ。
そんなヤツの発言権に信用なんてあるのかね。
そりゃあ、ときには助け合うのが理想だ。
大いに助け合いましょうよ。
でもだからこそ、力を蓄えんとさ。
友好の大前提として、双方がある程度自立してないとね。
ね、って。
友人関係ってものはさ。
ね。
☾☀闇生☆☽
反米のアバターが落ちて親米のハート・ロッカーが受賞か。
とは産経新聞の直前予想なのでした。
どちらも観てないから、なんとも言えぬが。
ああ、そういうことがあっても不思議はないなあ、と。