長い長い参道を通って街道へ引き返す。
この参道もまた魅力的で、夕暮れ時や夜なら物の怪を感受できそうな気配がある。
さて、府中に入る。
もうね、街道わきにこのでかぶつが待ち構えてますからね。
圧倒されますわね。
武蔵国総社にして東京五社の最古参。別格。
例大祭は東京都指定無形民俗文化財に指定されている『くらやみ祭り』で関東三大奇祭とされている。
でも、ここは初詣などの記事で過去に紹介していることだし、ということで華麗にスルー。
次いってみよう!
府中街道との交差点の一角に古びた木造のたたずまい。
府中高札場跡だという。
これを過ぎて武蔵野線を横断、
片町交番前から曹洞宗 高安寺(旧見性寺)へ。
ここは弁慶伝説のスポットがあるときいてお邪魔したのだけれど、まず目についたのが『関電工殉職者慰霊碑』。
くわしい解説はなかったのだが、あの有名な関電工の殉職者を慰霊している。
殉職というのものに、あたくしたちはどうも心を底のほうをゆさぶられますな。
職というものは、公的に役割があるわけですから、簡単に言えばそれはみんなの役に立っている行為なのですから。
めぐりめぐって直接・間接・どっかでその恩恵を享受している。
ましてや殉職されたというのだから、おろそかにはできません。
一礼して奥へ進みます。
さて目当ての弁慶伝説とは『弁慶硯の井戸』と呼ばれる井戸で。
平家を倒し、意気揚々と鎌倉に凱旋しようとしていた義経一行。
それを頼朝に拒まれてしまう。
義経追討令が出されたのはこのあとなのか、前なのかはあたしゃ知らんのだが、
義経はここ武蔵守藤原秀郷の館で大般若経を書き写して、兄の怒りが解けるのを願ったといふ。
鎌倉や京都との地理的関係をかんがえると不自然にもおもえるので、逃げ回っているときのことだろうか。
そのとき墨をとくための水を忠臣弁慶が組んできた井戸。それが弁慶硯の井戸の由来でございと。
小さな祠の横をすり抜けて急峻な崖に刻まれた獣道のような坂をおりると、これがある。
小さな東屋がそばに建てられていた。
しかしまあ、この坂は土肌の段差の凹凸をいかした階段らしきものがかろうじてあるだけなので、雨などで地面がぬれている時は危険です。
けれど、その観光地化されすぎていないところがいいのでしょうな。
仮にコンクリートの階段で、
手すりも完備されて、
なんならエレベーターもあって、
街灯でショウアップされて、
自販機やお土産の売店まであったんじゃ、萎えちまうぜ。
というわけで、
次回は日野へ。
☾☀闇生★☽