「お暑いなか、ご苦労さまです」
団地のリフォーム工事現場で、よくそう声をかけられるのだ。
それもその工事対象物件の住人さんたちに。
ありがたし。
そのほとんどがご老人であり、必然的にそのほぼすべてが一日中在宅しておられるという状況下での施工。
酷暑のなか、振動、ほこり、騒音などに苛まれておられるはずだのに、その棟の住人さんはこのように極めて好意的に接してくれる。
あるお方は、毎日のように差し入れを下さる。
人数分の塩飴。
バナナ。
お茶。
スポーツドリンク。
打ち身用の湿布…などなど。
あるお方は「おっす」とばかりにお茶目に敬礼をして笑顔をくれる。
みんな笑顔で挨拶してくれる。
施工への質問も多いが、それも決して否定ありきの言い方はしない。
どのお方も警備のあたしや職人たちへのねぎらいの言葉を欠かさないのだ。
しかし、
同じ団地内で、同じ条件ですすめているもうひとつの棟の方々はまったくもってにべもなく。
挨拶は一切無視される。
あるいは、むっとした態度を取られてしまう。
視線はぜったいに合わせない。
合わせないまま物にあたりながら『口の中で』罵倒していく人もいた。この人は若かったが。
苦情や注文も多く、こちらを「おまえら」「てめえら」呼ばわりするご老人もいるくらい。
工事というもの、現場にひとりは必ずクレーマーのようなのが居るものなのだが、この棟ばかりは一人や二人ではない。
棟ぜんたいがどこか苛立っているような空気感すらあるのだ。
なんでしょう。
なんなんでしょう。
前者と後者を分けたのは。
風水的な問題なのだろうか。
施工者側の問題は、この際置いといて。
観察するに、前者は普段からお隣さんのお付き合いが多いような気がするのだ。
顔を合わせれば挨拶を交わしているし、立ち話に花を咲かせている光景も頻繁に見かける。
軽度の認知症のお方がおられて、それを周知して、それとなくやさしく見守っている様子もある。
けれど、後者は違う。
横のつながりが薄い。
部屋に籠りっぱなしで。
だからなのかストレスの緩衝作用をする対人関係が無く、直結でクレームという形になってしまう。
前者の棟の施工状況を、わざわざ現場まで偵察に来られる方がおられるのだが、それはまるで『粗さがし』の態で、やはり挨拶は一切無視されるのであった。
なにか、こちらが好き勝手に押しかけて工事しているように思われているのではないのかと。
本当に嫌ならば施工業者ではなく、計画が持ち上がった時点で団地に抗議すべきである。
いまからでも遅くはない。
断固抗議して、中止に持ち込めばいいと思う。
思うのだが、それもまた横の繋がりなくしては出来ない相談だろうに。
この先日本は、ネット世代の老人が増えていくことになるのだろう。
んが、こういうところはどうなるのだろう。
収入が途絶え、体力も衰え、時間ばかりが増えて、といって子もおらず、日がな一日部屋にいることになって、はたしてネット繋がりだけで、風通しのいい精神状態を保てるのだろうか。
それが当たり前の日常になって久しいから、それが自然な余生ということなのだろうか。
ネットの向こうはそれで良しとして、日常的、私的な環境についてはどうだろう。
それともやはり、一日中、何かに苛立っているしかないのだろうか。
目を合わさず、口の中で罵倒するがごとく、老いて尚その苛立ちをネットの向こうに吐き散らしているのだろうか。
書きなぐっているのだろうか。
ともかく、
他者への「お暑いなか、ご苦労さまです」の気持ちくらいは、習慣づけておこうぢゃないか。
あたしらの未来は、何かと他者に世話を掛けるばかりの高齢化社会だ。
せめて、せめて、挨拶くらい交わせるじいちゃんばあちゃんでいようぢゃないか。
☾☀闇生☆☽