「オレ、野菜ジュースって、缶のじゃないと認めらんないんだよね」
そう言われてはっとした。
そういや最近見ない。
ちっこい缶の野菜ジュース。
カゴメはもちろん、たしかV8とかいうのがあったのを覚えている。
「紙パックとかペットボトルで、しかも果物を加えて飲みやすくしてあるじゃん。最近の」
そうそう。かつて野菜ジュースというものは青くさかった。
サラダよろしく塩をふってから飲む人も珍しくなかったほどだ。
梅干しはひたすらしょっぱくて酸っぱかったし、カレーに子供用なんてものはなく、しっかりと辛かった。
はあはあ言って喰っては、水をぐびぐび飲んだ。
「どこいっても見かけなくなったから、今、近所の酒屋でとりよせてもらってるんだ。
なかなか届かないんだけど」
そこまでするのか。
ならば刹那的なノスタルジーで言っているのではないのだなとわかる。
こういう人はかっこいい。
ただしそれを他人に押しつけないかぎりにおいて。
なるほど、誰にでも好かれるようにしてあるものって、物足りなく感じるものだ。
百人が百人とも好きというものなんて、どこかぱっとしない。
あの村上春樹にだってアンチは居るのだから。
などと考えていたら、一緒に話を聞いていた年下の先輩が、
「俺は必ず凍らせたグラスで飲みますよ。野菜ジュース」
みんなこだわるのねえ。暮らしの細部のもろもろを。
ささやかな私的喜びを満喫している。
つられて思わず久しぶりに青臭いの飲んでみたいと思ったし、凍らせたグラスでのはきっとうまいに違いないと。あたしゃただただ感心するばかりでござった。
そういえば数年前のこの日。
文明レベルの価値観の押しつけあいが悲劇をうんだのだ。
そこへいくとあれだ。
野菜ジュースひとつでちゃっかり愉しんでしまうという、この度はたかだかその程度の話である。
けれども、そこに世界の愉しみ方の秘訣があると確信してしまうのだ。
だってほんとに人生愉しんでんだもの、この大先輩。
ネガティヴな物言いをひとつも聞いたことがない。
その数々の発言を要約すれば、
「ほら、こういう風に眺めればこんなに面白いよ。世界」といった具合。
なにより、
日給制のガードマンの世界にこんなお方がおるという。
そこが面白いのだな。世界よ。
☾☀闇生☆☽
お。
いまうちのiTunesがグールドからフィッシュマンズにつなげよった。
そうきたか。
世界。