クラウス・ハロ監督作『ヤコブへの手紙』銀座テアトルシネマにて






 フィンランド映画
 おそらく近い将来にこれは舞台化されるのではないか。
 しかも日本で。
 実現すればそれはまことにもって安直な発想と言えるのだが、そう思わせるくらいにシンプルで分かりやすい物語なのである。
 なにより登場人物がたったの四人だ。
 刑務所を恩赦で出てきた主人公レイラ。
 彼女に恩赦を告げる刑務所の所長。
 彼女をひきとる盲目の老神父ヤコブ
 神父のもとへ手紙を届ける郵便屋。
 場面も冒頭の刑務所と、
 あとは草深い山の中の神父の自宅がほとんどで。
 それから教会か。
 刑務所と教会は省略できそうだし。
 まあ、野田のやるようにすべて机と椅子で表現すればなんのことはない。
 映画がヒットすれば、便乗してそんなことになるかも、です。
 

 まずは物語。
 終身刑のレイラが恩赦による釈放を告げられるところから始まる。
 彼女はなぜか獄中にあっても休暇をとらず、
 しかもこのせっかくの恩赦を余計なお世話といった態で迷惑がるのだ。
 しかし結局は所長に紹介された老神父のヘルパーの職を渋々引き受けることに。
 そこは村はずれの草深い一軒家。
 神父は盲目で一人暮らしである。
 が、
 レイラにたくされた仕事は彼の身の回りの世話ではない。
 全国から寄せられる相談の手紙を読み上げ、その返答を代筆すること。
 その来る日も来る日も寄せられる手紙の量に、うんざりしたレイラは密かにそれを破棄しはじめる。
 やがて、
 手紙が来なくなり、
 それだけが神父の生き甲斐であったと知った彼女は、閉ざし切っていた心をついに揺さぶられ……。
 元受刑囚レイラの罪とは、いったい何だったのか。ついにそれが明らかに。


 とまあ、なんとシンプルなんでしょ。
 以下、ネタバレっぽく。





 まずレイラ役の女優さんの顔。
 して体格。
 とどのつまりが風貌。
 なによりこのカオなのですな。
 観客はこの人物の背景に思いをはせざるをえないのです。
 この無愛想とふてぶてしさあってこそ成り立つ映画なのです。
 極論すれば、それに尽きると思う。
 こういうキャスティングできないでしょ、日本では。
 現おばさん的な人を使っても、誰だろうが元美人女優の気品が邪魔してしまうし。
(話はそれるが『ピンポン』の夏木マリ。その脚をみてしまった主人公がオエエエっとなる必然性で考えれば、あまりに落差が少ないっしょ。原作を参考にすれば、すくなくとも樹木希林的な……、ね。)
 興業の外面ばかりを考えて育てないし。
 これ、物語的にはなんてことないのよ。
 この女優さんの閉ざしきったふてぶてしさ。
 それとあの長閑なフィンランドの自然。
 草と木と、
 そこを渡る風の音と。
 遠くに郵便屋の声。
 老神父の侘び住まいの美術。
 そういうことなんです。
 そういう意味では眠いかもしれない。
 つまらない、という意味ではなくてね。
 して前回に引き続きこの作品も贖罪がミソになってきますね。
 はい。
 ケータイもない。
 あくまで手紙。そこが重要なんです。


 それと蛇足を徹底して排除した勇気にも、拍手だ。
 お涙ちょうだい的に作ろうと思えば、いくらでも過剰な演出ができたはず。
 ネタバレすれば、再会の抱擁シーンをくっつけるとかね。
 あるでしょ。そういうハリウッド的な。
 けど、
 心に変化の兆しを見せたレイラも、最後まで笑顔らしい笑顔を見せないのだな。
 そこがいいと。
 で、そういうもんだと思う。
 野暮天は嫌ったのだ。
 ラストの潔さは、観客の想像力に映画をゆだねる潔さである。












 簡素で、どこか愛おしい。
 可愛らしい小品だ。






 ☾☀闇生☆☽