壁の言の葉

unlucky hero your key


 以下、露骨なシモネタをのたまう。
 あまりに品がよろしくないので、気分じゃないかたは、即刻退散されたし。



 
 ここで闇生が考えたいのは『ど』についてだ。


 たとえば犬が鳴く。
「わんわん」
 どうしようもなく、のどかである。
 まあ、人語を駆使できない動物の発音を、むりやり文字におこすのだから、実際の咆哮とは程遠い。
 んが、
 それはそれとして、言わんとすることはわかるし。伝わる。
 ははん、猫ではないのだなと。
 英語では「ヴァウワウ」でしたか。
 んでもって「コケコッコー」は「クックドゥードルドゥー」。
 人語に変換するというその無理がたたって、双方はこれほどまでにかけ離れてしまうのだ。
 んが、
 この表記あってこそ、その大元を連想することができる。
 それはきっと、音そのものと音符のような関係だろう。
 音階には入りきれない自然界の音を、強引に譜面へ起こす。
 音階という名の琴線で編んだザルの目は、民族ごとに違うから、それですくい取られるものもおのずと違うわけで。結果、そうなるわけだ。

 
 これらをたしか擬声語、という。
 対して、擬態語というのがあって、『のろのろ』とか『こそこそ』など、実際には聞こえない音を表現するときに使う。
 とまあ、このふたつを提示した上で、露骨をかましたい。
 読んでくれるあなたの優しさにつけ込むから、どうかお覚悟を。
 不思議に思うのは、エロ漫画でよく目にするこれについてなのだ。


 どぴゅっ。


 かましちゃって、すまん。
 この男子たるものの、男子ならではの、その極みの一瞬に放たれる、放たれ。
 放たれの放たれ具合をよくあらわしているではないか。
 でだ、
 この表記は、上の例でいうどちらなのか。
 擬態語としてくくるのが手っ取り早いのだろうが。
 後半の「ぴゅっ」については、擬声語といえなくもない。
 理性に抗う獣性の雄たけびを、あなたのその澄んだ心で聞くならばだ。射出の瞬間にそんな声が聞こえてもおかしくはないはず。
 どうか耳を澄ましてほしい。
 いや、わかる。そんな状況ではないことくらい。
 それでも、奴は、吠えているし。
 鳴いてもいるのだ。
 この際、その半濁点が、勢いあまって濁点に転じようとも、瑣末なことではないか。
 問題はそこでは無い。
 「ど」だ。
 あくまで。
 ぴゅっ、が擬声語ならば、それだけでいいはずなのに、どういうわけか「ど」が付く。
 ぴゅっ、は聞こえても「ど」は聞こえない。
 んでも、付くんだ。付けるんだ。
 なんせ「ぴゅっ」の直前にはそこから吐息のひとつも洩れている気配はないのだから、拡大解釈の余地もありゃしない。
 だもんだから、どっと笑う、の「ど」にすらなれない。
 にもかかわらず、それはやっぱり付くのだ。
 はて、この付いてまわる「ど」の正体とは、いったいなんなんだろうか。
 「ど根性」「ど変態」の「ど」か。
 要するに土着的な強調か。
 ど・ぴゅっ。
 んなはずはない。
 擬声語の強調だなんてのも、変だろう。
 どわんわん。どカッコウ。どホーホケキョ。
 では、「どメクラ」「ど近眼」「どブス」のように侮蔑の「ど」なのか。
 「ど」をつけて、ぴゅっ、を蔑もうと。
 おとしめて背徳感を増量しようと。

 
 違うな。
 
 
 思うに、これは射撃手の主観ではないのか。
 もしくは実感だ。
 ゆえに女性からすればこの「ど」は、無いのではないか。
 ようするに「ど」は、分かち合えない。
 客観すれば、せいぜい5ccばっかりの「ぴゅっ」のみだろうから。
 なんか、むなしいが。
 それはそれは、せつないが。
 それでも地球は回っているのだし、
 確かに「ど」は鳴っているのであーる。
 いったい、どこで。


 たとえば少年漫画。
 ヒロインを悪漢から救うべく、主人公が登場する。
 あるいは直球のセリフを、恥も外聞もなく放つ。すると、


 どーん。


 背景にそう大書されたりするものである。
 この場合のどーんは、読み手の中に響かせるどーんに違いない。
 決して、救いに来た人物の中ではない。
 そこへいくと「どぴゅっ」は、
 とりわけ聞こえることのない「ど」だけは、射撃手の内面に発している。
 音のありかは、まさにそこ。
 作者は、射撃手しか知りえない「ど」を描き込むことで、読者を強引に共感させようというのである。
 これは相当に、いやらしい。
 客体をよそおっておりながら、その瞬間だけ、いけしゃあしゃあと主体に忍び寄る。
 罠だ。
 エロの共犯を強いる、トラップだ。
 であるからして、あの「ど」をなめてはいけないのである。
 恐るべしぞ、漫画。

 
 では、いよいよ射撃手の内面の「ど」の正体だ。
 近いのは、授業を終えるや否や、子供たちが「ど」っと校庭へ飛び出す、の「ど」だろう。
 大勢が、勢いよくあふれ出す。
 その、弾かれ具合に、付けられる。
 だらりだらりでは、いけない。
 にょろりでもない。
 だぁぁぁでもなく。
 ど、だ。
 シンコペーションだ。
 となれば、「ど」が生み出す勢いは、それを塞ぎ、遮る門あってこそではないのか。
 開放厳禁の門に、群集が衝突する音である。
 つづく「ぴゅっ」は突破音だ。
 ぶつかり、そのポテンシャルに耐えきれずついに、破られる。
 ど、ぴゅっ。


 規制あってこそ、フリーダムは深まる。

 
 ようするに、
「どぴゅっ」の「ど」は、天国への門をノックする音なのであーる。




 ☾☀闇生☆☽
 

 だからなんなんだと。



 大丈夫か? 俺。