壁の言の葉

unlucky hero your key


 夜更けの河川敷。
 サッカーグランドの闇が、金の稲穂の田園と化していた。
 そのあたりは夏恒例の花火大会が名物となっているのだが、この冬の夜、近隣の住民有志が手作りでそれを再現しようという。
 それぞれが、持ち寄った花火を思い思いのタイミングで、披露していくのだ。
 決して夏のそれのように派手さはない。
 喧噪も露店もありはしない。
 が、そのしめやかで、微笑ましい光景に足をとめる人は少なくなく。
 工夫して、仕掛け花火なんぞをやる連中もいるから、山場もあってなかなかに愉しい。
 なかでも、ずらりとカカシをならべ、その両手の先に花火をくくりつけたのが圧巻だった。
 点火するとその火力でもって腕が風車のように回転するのだ。
 その光景に、橋の上に群がっていた見物客たちが、どっと沸く。
 そして、とうとうこの日の最後。
 メインイベントである。
 河原のグランドをびっしりと、突きたてられたロケット花火が覆っている。
 どれも同じ方向を向いてほとんど倒れており、発射角度があまりに低いのが気になったが。
「点火!」
 の号令で一斉に火を吹いた。
 ロケットは赤い光の尾をひいてライナー性に飛び立つと、とある一点をめがけて参集。
 そこは隣接のマンション。二階の一室。バルコニーの窓。
「割れる」
 ガラスはひとたまりもないだろう、と誰もが思った。
 おびただしい赤い尾が塊となって、見事その一点に着弾しようというその瞬間だ。
 突如、手すりの陰から機動隊風の男がふたり現れて、ジェラルミンの盾でロケットを全弾防いでのけた。
「やったぞぉぉぉ!」
 と雄たけびをあげるふたり。すると、
「おおおおおっ!」
 どこからともなくそれに呼応する鬨の声。相当な数である。
 連中、わらわらと闇の中から現れて、我々を襲い始めるではないか。
 花火の主催者たちは逃げ散ってもういない。
 見物客たちはパニックとなって橋の上で右往左往する。
 機動隊風の集団は手にプラスチックの日本刀を携えて、容赦なく撫で斬りに退治していく。
 土手にシートを敷いてくつろいでいた我々も、あっという間に、
「検挙っ」
 そういうことにされた。
「やーらーれーたー」
 大仰に斬られてやる。
 やれやれ。
 これにて催しは終了らしい。
 祭りの後。
 家族と来ていたらしい私は、みんなの荷物をもってやろうと背負っていたデイバッグを開ける。
 姉が「大丈夫?」となぜか心配してくれる。
 遠慮すんなって。
 と言うのが早いか、みんなは口々に「これお願い」と荷物をパスしてくる。
 それがなぜかどれもこれも缶詰で。
 しかもさばの。
 どこにこんなに隠し持っていたのかというくらい、目の前にさば缶が積み上げられた。
「大丈夫?」
 今度はニュアンスにからかいが混入されている。
「大丈夫だっつの」
 ここぞとばかりに強がっておく。
 デイバッグにみっちりとさば缶を詰め終えると、さっそく背負って立ち上がってみた。
 うん、相当な重さである。
 重みに芯がある。
 これは気をつけないと腰をやるな。
 そう思って、自宅まで最短距離でいくことに決めた。
 ただちに頭に地図を描く。
 で、現在地と自宅を直線で結び、線上に道をとる。
 歩道橋を行く。
 民家の庭を、
 茶の間を、
 風呂場を横切っていく。
 そして、汗だくとなって深夜営業のデパートに突入。
 腰はすでに限界である。
 階段を上がって紳士服売り場に足を踏み入れると、店員の男が私の様子に目を見張る。
 私はといえば、もはや直立できず、ガニ股で、やっとのことで歩いている。
 ドワルスキーかと。
 どうやらそんな障害を持つ者なのだと解釈したらしく、店員はいたわりの言葉をかけてくれる。
 しかし、こっちは声もでないくらいに、疲労困憊。
 立ち止まり、あまりの重さに呻き、睨み殺さんばかりの形相で前方を見据えるばかり。
 店内アナウンスで各フロアの売り子たちが召集されてきた。
 しかし、手を触れてはいけない、という謎の暗黙のルールに支配されて、彼らは立ち尽くすばかり。
 まったくもって謎である。
 ロス五輪の女子マラソン。アンデルセンの不屈のゴールシーンを思い出した。
 そこへ涙ぐむうら若き女子の声、
「がんばれ」
 を合図に、口々に励ましの声が浴びせられる。
 こうなると休むわけにもいかない。
「がんばれ」
「がんばって」
 いつしかズボンがずり落ちてきている。
 しかし、それを直す余裕などあろうはずもない。
 どこからともなく拍手が沸き起こり、やがてまるでアンコールを要求する手拍子の渦になる。
 されどズボンは落ちていく。
 拍手が高まっていく。
 ズボンは落ちていく。
 歓声があがる。
 と同時にズボンは完全に落ちる。
 もはやパンツ一丁。
 嗚咽が聞こえ、どういうわけか感極まった、
「ありがとう」
 の声がかかる。
 男子店員たちの男泣きも聞こえる。


 それでも私は、
 さながら海を行くモーゼのように、
 この上なくあたたかな拍手の大海原を、
 そして売り子の人垣を割いて、喘ぎながら行くのだ。
 大量のさば缶を背負って。




 ☾☀闇生☆☽