例えばだ、
自動車の性能が向上すればするほどに、
その高い性能にドライバーの技術は支えられ、守られて、必然的に車体を頼るようになる。
頼るぶんだけ運転技術自体のレベルアップも可能になると。
しかし、それがただちに運転マナーや自他への安全性の向上に比例するかというと、そうはいかんのだな。
人間がコントロールする以上、最終的にはその意志が決定するわけで。
車体と技術を、意志が制御する。
車体と技術が力をもつほどに、それを制御する意志もまた本来は強化、研鑽されるべきであり。
理想ではあるが、どーかそうしてくれと。
どうもそういうことらしいのだ。
武道でいう『心・技・体』っちゅうものは。
筋骨を鍛え、格闘術を磨けば、自然と精神力が強まってくる。という棚ボタ式ではないのだろう。
身体と技が強まるほど、そのブレーキ(理性)も強化してくれんことには迷惑ですよと。
心・技・体のうち心を最上位にしたのはそのためじゃないかと。
体は最下位で、もっとも戒められるものだ。
「柔道とは何か」
と問われて柔道家道長伯氏は1953年、こう答えたそうな。
「最終目的は心技体の錬成であり、それによって立派な人間になることである」
強面で巨漢の愛すべき後輩が、他愛もないことで現場で荒れている。
荒れていますよといわんばかりのアピールである。
他人を罵り、ときに嘲笑し。
有体に言ってふてくされて、やけくそになっている。
某武道の有段者であるのに公然とくそを焼いているのだ。
甘えるな。
おまえの心はお前にしか制御できない。
たのむぜ、心・技・体よ。
☾☀闇生★☽