壁の言の葉

unlucky hero your key


 やっとこさっとこ、初勤務である。
 ケービ士。
 致命的なまでの自分の方向音痴の度合いを考慮して、早くに家を出たのがよかった。
 案の定、現場の最寄り駅でさっそく迷ってしまったのだから。
 たいがいの駅の出口付近には、その周辺の地図が掲示されているものであり。
 地図というものは、原則として『北』を上にして記されているもの。
 でしょ?
 そういうふうに義務教育で学習しているものだからして、その地図も上を北と解釈した。
 北極星はあの空の彼方と。
 して、
 あらかじめネットで調べおいたメモと照らし合わせてみたのよ。
 んが、
 これがまるで合わないんだ。
 メモひっくり返したり、持参した市販の地図と並べてもみたのだが、さながら違う惑星に到着したかのようで。
 十分ほど格闘してようやくその駅の地図が、見る人を世界の中心と捉えて描かれていると知ったという。
 けど、それでも早起きの甲斐があって、時間的ゆとりが残されてある。
 道には緑が多く、
 鎮守の森や由緒ある医療施設が連なって、どうにも清々しい。
 その傍らを、自転車もあらわにふとももを連ねて行き過ぎる…、
 もとい、
 ふともももあらわに、自転車を連ねて行き過ぎる女子高生たち。
 目のやり場に困惑しつつ、林の奥から届く鳥の声が、妙にしみて。
 それはそれは、しみて。
 いいところだ。
 休憩時間に、あたりを散策してみようと企んだ。


 さて、仕事の現場はといえば、抜け道的に便宜のきく二車線の街道。
 歩道は、大人の肩幅ほどしかなく。
 監督さんの説明ではその一車線をつぶして、無謀にも水道工事をやらかすという。
 片側交互通行。
 言わずもがな、最低でも二人であたる仕事である。
 で、初対面のバディはといえば、おそらくは同年代と見受けられるダウナーさん。


「まいったわ。嗚呼」


 そんな心の声が、聞こえたような気がした。
 なんだろう。
 ともかくも、へこたれておられるもようなのだ。


 でね、
 それはそれとして、さっそく勤務を開始したわけなのだが、始めるやいなやにこの闇生が停車させたのが、なんと彼の宮崎駿なのであーる。
 進めの合図をしたときにやっとそれと知った。
 こちらの敬礼にかすかに反応したようすで。
 はて、ジブリってこの辺だったのか。
 例の、ポニョ制作時に作画スタッフに放った、


「ケンカ売られてんのかと思った」


 そんな言葉がちらついて。
 だからなんだよ。
 などと思いつつ、労働は続くのだ。
 止まらない。
 これがまた交通量がやたらに多いのだからして、ひたすら手信号。
 それも、しっぱなしよ。
 昼には早くも筋肉がぷるぷるし出すありさまだもの。
 差し入れに頂いた缶コーヒーも、持つだけでぷるぷるぷるぷる。
 きっと明日は腕があがらない。
 いや、そろそろ二日後にガタがくる年齢なのかも。
 この日のバディは先輩であることは間違いないのだが、こまったことに手信号がやけに小さいのね。
 こそこそとまあ。
 まるで内緒話をするような。
 こちらからするとちょっと分かりづらいわけであり。
 案の定、停止の合図の曖昧さをついて突っ込んできた車と、あたしが進めた車列とが、現場でにらめっことなってしまうことがあった。
 けれど、それを指摘に歩み寄る暇も無く。
 車の流れは止めども無く。
 どころか、結局のところ九時から十七時まで、昼食休憩はおろか、しょんべんすらできなかった。
 さすがにそれは想定外である。
 けどね、なんかあたしのなかに意地のようなのがありまして。
 それがふつふつとたぎってくるのだわ。
 こそこそ合図なんかするもんかと。
 だらだらするもんかと。
 停止してもらっている間、腕は誘導灯を掴んであげっぱなしなのだが、頑として肩の高さを保ったよ。
 メリハリを明確に。
 俺が来たからには「棒振り」だなんて蔑まれないようにしなくては。
 研修を思い出して、闇生はびしっとやったのさ。
 筋トレにもなっていることだろう。
 そのせいかこちらの敬礼には、目礼をくれる御年配が少なくなかったし。
 女子からは、笑顔もいただけた。


 えへん。


 それを、つかのまのヒールウォーターとこころえる。
 でもってむさぼる。
 しかしあれだね。
 他人さまの運転中の顔なんざ、こんな仕事でもしない限り、注視する機会がないものなのね。
 あのね、
 みんなね、
 気ぃ抜き過ぎよ。
 運転中の顔。
 だめだっつの、あんなに大口あけてあくびしちゃ。
 鼻ほじったり。
 それとよそ見運転の多いのなんのって。
 ケータイやら、
 カーナビやら。
 怖い、怖い。
 配送の人がハンドルのうえに伝票を広げて、それに気を取られてこっちに突っ込んできたときは、さすがに焦ったわ。
 こっちはあやうく、のしイカになるとこ。
 女のダンプの運転手が、前のご婦人の車を煽りたてているのはすごかったなあ。
 顔を紅潮させて笑ってんだもの。ダンプの松本が。


 勤務を終え、日の落ちた公園でひとり持参の握り飯とゆで卵を頬張りながら、コオロギの音に耳を傾けた。
 ノラ猫が一匹。遠巻きに見ていて。
 呼んだけど、怪しんで寄ってこなかったな。
 明日も同じ勤務地。
 排ガスをたくさん浴びたから、風呂がありがたい。




 ☾☀闇生☆☽


 愉しむ。