壁の言の葉

unlucky hero your key


「今の社会は厳しさのルールで動いている」
 それは、だからもっと『甘さ』が必要だという文脈でのことだった。
 『甘さ』と『厳しさ』を対比して。


 一国の軍艦が、
 あろうことか民間の漁船を、
 居眠りかよそ見運転レベルの原因で沈めてしまったばかりのこの時期に、こんな言説にはち合わせるとは。
 なんという「甘さ」か。
 国民を守る軍隊からして「甘さ」このうえない。
 ましてやその一報を聞いて他人事のようにコメントする「甘い」男を総理大臣に頂いている「甘い」我々だ。


 なんせその話の流れでは、先の大戦での日本軍を「厳しさ」のルールの代表例とする一方、戦闘機の機体に女のヌードを描いてガムを噛みながら戦っていた米軍の「甘さ」を肯定的に語る。ゆとりの違いとして。
 しかし、もしあの時代の米国が日本のABCD包囲網のように隔離され、物資に欠乏していたとしたら、そんなゆとりなんぞなかったのではないかとも思うのだが、どうでしょ。
 少なくとも戦闘機にヌードを描いてガムを噛みながら殺戮する「甘さ」が、原始爆弾に男性器の隠語を命名するセンスにつながっていただろうし、イラク・レイプは数日でかたがつくとのたまった感覚にも通底しているのではないのか。
 むろん沖縄の米海兵隊の統率の「甘さ」を持ち出すまでもなく。


 ゼロ戦が機体に春画を描いて、干し芋でも噛みながら戦っていたとしたら、どうだったというのだ。
 そんな甘さは、御免蒙る。


 その「甘さ」の米国にとっても、機密のかたまりであるイージス艦内にやすやすと捜査をゆるした同盟国日本の「甘さ」に頭を痛めているのではないのか。


 世界史的にも今の日本ほど甘い国はない思う。
 その底なしの甘さゆえに価値観を見失って、大した理由らしい理由も自覚できぬまま、駅のホームからダイブしてしまう人が後を絶たないのだと。
 相対化地獄の果てに待つ虚無感。


 などと、
 この一介のエロDVD屋風情が、ぬけぬけとブログで好き放題のたまえてしまえるこの「甘さ」。
 「ぬるい地獄(松尾スズキ)」とはよく言ったもので…。




 ☾☀闇生☆☽


 追伸。
 そうそう、もちろん硬直した厳しさは厄介だ。
 けれど、旧日本軍へのその手のステロタイプなイメージってのも、一面にすぎないわけで。
 このブログで繰り返してきたけれど、チェスタトンの「絵画の本質はその額縁にあり」。
 ようするに加減を、「甘さ」に引きずられずに見極める「厳しさ」。
 それがミソかと。