長崎女子高生殺人。
 同級生を興味本位に殺害した事件だけれど。
 幼少期特有の、虫などの小動物を殺害する征服欲が、次第にエスカレートして犬、猫、さらに対象がより大きな生き物となり、ついには人を殺してみたくなるという過程は、数多ある快楽殺人犯たちのたどった道と非常に似ているのだが、今回の場合、世界的にも特異なのはやはり女性同士というところだろうか。
 女もまた、殺害に征服感としての性的興奮を覚えることがあるのか、あるいは彼女においては無自覚だったのか、もしくはもっと違う衝動によるものだったのかは分からない。
 ただそこに偏狭な私世界で肥大させてきたナルシズムが、強烈に臭っているようには思える。
 しかしながらナルシズムというやつは、性と切っても切れない関係であることも確かだ。


 昔、学年にひとりは『こっくりさん』だの『ラブさま』だのといった黒い占いの名手がいた。
 卑近な記憶のみで語るが、それらは例外なく普段は決して目立たない女子たちであった。
 男子はそれをからかうか、面白がるかで、司る役になるのは非常に少ないと思う。
 偏見であると嗤っていただいて構わない。
 彼女らはある種の自前の幻想のなかに棲んでいて、無自覚に自他への暗示を執拗にくり返し、上書き更新しているために、その世界を疑おうとしない。
 いや、すすんで信じようとする。
 その他者からの認知が、自己の存在証明となってしまう。
 一般には、その幻想も煩雑な現実(受験だの)に押しやられて、いつしか卒業していくものなのだろうが。
 この事件の場合、殺害、解体こそが、自己の証明なのではなかったのだろうか。
 他者への関わりを強烈に確かめる手段。殺害。解体。
 すなわち他者の死が、自己を証明するリアクションなのではと。





 つらつら。


 わたくしと個人と公人の見境がつく年頃では、まだないのかな?
 外部(公)との接点の、その相互に作用する関係性の現場に、個は顕れる。
 暴力や破壊は(むろん自傷行為も含めて)、それを実感するのに最も安易な手段なのである。
 ベタなのである。
 しかしそれが食欲や性欲と同列に概念として組み込まれてしまうと、単純なだけにやっかいなのだな。



 


 ☾☀闇生☆☽