M通りのS大寺の坂の途中で、後輪に異変を感じる(17時半ごろ)。
 切り下げの段差のたびにがつんがつん云う。
 パンクである。
 しかたなく自転車を押してT道路に出、支社のあるKに向かって道なりに歩く。
 そのうち自転車屋の一軒くらいはみつかるだろうと高をくくっていたのだが、見つからないままにとうとうK通りに出てしまう。
 夜勤の集合場所はそこから南下。
 しかし支社へは北上しなければならない。
 時間的にまだ余裕があったので支社を目指す。
 北へ。
 H街道を横切り、
 R通りの交差点の交番を訪ねるが『パトロール中』の札が出されて留守である。
 通りすがりの自転車の人に聞くと、更に100メートルほど北上すればファミマの隣に個人の自転車屋があるという。
 ただし今日はすでに閉店しているかもしれないとのことだった(18時ごろ)。
 とりあえず行ってみることにしたが、果たしてやはり閉店しているではないか。
 祝日で、しかも帰宅自転車の行き交う時間帯にもかかわらずにシャッターを下ろしてしまうのだから、そこはやはり個人店なのだ。
 その日の酒代だけどうにかなれば、あとは知ったこっちゃあない。
 店主の不景気な面構えが想像できた。
 しかし、こうなっては支社に顔を出す時間が無い。
 事情をケータイで内勤者に話す。
 許可を得て、集合場所の置き場に向けてK通りをとぼとぼと引きかえす。
 T道路との交差点にある交番をのぞくと、こちらにはちゃんと警官がいた。
 もっとも近い自転車屋を訊ねると、T道路をそこから西に200m行けばホームセンターがあるとのことだ。
 そこで修理してもらえるらしかった。
 もしそこが受け付けていなければ、さらに300mほど先に自転車屋があるという。
 ともかくも近い方を、とホームセンターを訊ねる。


 新車の陳列された屋外に自分の自転車をとめ、『手動』との手書きの注意書きが貼られた戸から店内に入る。
 誰にも「いらっしゃいませ」を言われない。
 見渡すとエプロンをつけた老人と眼が合うが、これといって愛想もくれない。
 店員なのか?
 近づいて行くとネームプレートをしていることがわかった。
 ならば店員だろうと、事情を話すと「なかに入れて」とにべもない。
 どうやら、その問題の自転車を自分で店内に持ってこいということらしい。
 いそいそと手動の引き戸を開閉して自分の自転車を店内に入れる。
 このあたり、自分の地元界隈でチェーン展開している自転車屋とは大違いである。
 老店員はタイヤを一瞥するや、表面のゴムを指摘し、


「擦り切れて穴開いちゃってる」


 とぼそり。
 18時20分。
 修理完成は19時を過ぎるという。
 この日の現場の待ちあわせは19時15分である。
 19時をどれほど過ぎるのかが知りたいのに、断言をさける老人。
 かわらず尊大に構えていて。
 修理してやってもいい、てな感触である。
 19時半までかかったりしますか、と時間を詰めると、


「まあ、そんなにはかからない」


 店員にあるまじき口調なのであーる。
 どっかの老評論家かなんかにイスラム情勢のお話を伺いに来たような、そんな錯覚に陥った。
 しかし、コトは一刻をあらそうのだ。
 くじけず、19時を過ぎるのは確実なんですねと念を押した。
 多少遅れるくらいなら仲間も許してくれるだろうとふんで修理を頼むことにした。
 時間的に余裕があれば、こんな対応の店は出ていくのだが、そこは仕事のために我慢した次第。


 ヒマな店をあずかる者というのは、往々にしてその孤独をこじらせるものである。
 いわゆるワンオペというやつがその最たるもので、たった一人で愛想を持続しつづけている接客など、そうそうお目にかかれるものではない。
 だから彼ら彼女らの無愛想には同情すらしてしまうし。
 それでいて見事にテンションを保ち続ける店員には、尊敬の念を抱く。
 しかしそれも繁盛あってのもので、ヒマな店でそれを続けるのは至難であろう。
 何より一日の大半が「待つ」状態になるのだから。
 なので、作業という本来一日の大半を占めるべき理想の状態の方が「稀」なことになる。
 この「稀」が、常態の「待つ」の平穏を揺るがす「面倒」に感じてくる。
 そうなると商売に付き物の冷やかしだけの客というのが煩わしくなるもので。
 ヒマなぶんだけ意識の大半がそういう客に気を取られるし「待つ」の安寧を破る「面倒」ごとでしかない。
 して、接客を面倒がれば、客は引く。
 んが、そうなると経済的に芳しくない。
 だもんでまた不機嫌になる。
 愛想がなくなる。
 店の雰囲気が悪くなる。
 よって客が引く。
 孤独がこじれる、という悪循環に陥る。
 不景気で陰気な個人商店というのは、その成れの果てではないのだろうか。


 ともあれ、修理完了まで少し時間ができた。
 順番待ちの番号札を渡されたが、店内はがらんとしていて。
 ほかに客などいるものか。
 修理中のチャリすらなさそうだ。
 まあ、それもマニュアルだか方便だかだろうと、この急場では良しとした。
 更に少し西に歩いてファミマへ。
 から揚げ弁当を買って店頭のベンチで頂く。
 19時をまわるとのことだったが5分前にまた訊ねる。
 自転車はとうに修理を終え、例の老人はまたすることもなくただ不機嫌に立っていた。
 今度は若い店員の姿もあった。
 休憩から戻って来たといった具合だろうか。
 接近するこちらに気付いて、なにかご用でしょうか、的なニュアンスで構えたのがわかったが、あたしゃ老人に用がある。
 老人を目指す。
 老人。やはり愛想もくそも無い。
 こちらを認めても会釈ひとつなく、修理を終えた自転車のところまで案内するでもなく、レジに向かう。
 その老人の背中を追いながら、さっきの若い店員の視線を感じた。
 なので、ことさら不可解な様子で首をかしげてみせるという小芝居を打つ。
 老人。釣りをかえすときにぼそりと体温の無い言葉を吐きよる。曰く、


「ありがとうございました」


 え?
 それは言うんだ、と内心驚いた。
 自分は客だが、それに応えてあえて「ありがとうございました」と返しておくことにする。
 皮肉のつもりはない。
 ほんとうに急いでいるときのアクシデントが、これにて解決したのであるから。
 出口まで自分で自転車を押し、その自転車を支えたまま手動の戸を自分であけ、自分で自転車を通し、また支えたまま自分で戸を閉めた。
 ひとりでできるのだ。
 ひとりでできる。
 店員は誰も手伝わない。
 近所の某お笑い芸人がイメージキャラクターをする自転車屋では、決してそんなことまで客にはやらせない。
 むろんそこの店員も、すべてがすべて社交的な人ではなかったけれど。


 しかしまあ、あの年齢でああまで孤独をこじらせているとなると、こちらが怒ったところでどうにもならないだろう。
 脳はすでにコチコチだろうし、『自分』というやつを長年にわたって十重二重に凝り固まらせてきたせいで、いわゆる偏屈というやつになってしまっている。
 自縄自縛だ。
 ひっからまった挙句にがちがちに締めこんで、さらに縄どうしが融けあった上ですでに凝固してしまっている。
 そんな脳。
 おそらくはあの若い店員の『引き』方をみるに、売り場でも手を焼いていることだろうし。
 ホームセンター全体としても、彼をガンと捉えているのではないのか。
 ただベテランで、年配で、というところを配慮しているうちに、こんな事態になってしまったと。
 もう誰も忠告してはくれない。
 仮に自分でそれに気付いたとしても、今さら自分をリセットして努力し直すだなんて徒労をするくらいなら、年齢的にも引退を選ぶことだろう。
 その「べつにいつ引退してもいいんだけどね」の片手間感覚がまた、プロとしてよろしくないと。
 いや、長いこと色の褪せ切ったままにしている店の看板の具合や、駐車場の出入りに立たせた老ガードマンのつっけんどんな応対をみるに、店舗全体としてそうなっているのかもしれない。
 立地の良さで生き延びてきたせいで、徐々にネット通販や大型店に押されていく現状を、いまなお捉えそこなっているのではないのか。
 だまっていても客は来る。
 そこに狎れちゃったんだ。


 まあいい。
 二度と行かない。


 話題のワンオペ。
 防犯上だけでなく、精神衛生的にもよろしくないと思う。
 むろん店員同士の狎れ合いは危ぶむべきだが、孤独との狎れ合いは無愛想や不愉快につながりやすく、それは客に必ず伝染する。
 なおかつ客の不愉快にも感染されやすく、悪化させる。




 置き場での待ち合わせには、無事にまに合ったっす。




 ☾☀闇生☆☽