腰パンか。
純粋に俺俺を競う大会なら、こうまで言われないんでしょうが。
あるいは私服なら。
制服というものは、公的な役割をしますから。
私と、公の境界線上にひらりと、まとう。
で、
それでこそのオリンピックなのでしょう。
私的な、
もしくはコジン的な流儀を公のために、
つまりはあたしらのために一旦引っ込めるなり、折り合いをつけるなりして戦う謙虚な姿にこそ、感動するのであって。
強さやら美しさを感じるのであって。
だからこそ、応援がありーの。
別に日の丸を背負ってオナ○ーに耽るのを観たいわけではなく。
それはそれでエロ屋としておもろいが。
といって、滅私につぶされるサマを期待しているのでもなく。
その折り合いのバランスで、成り立っているわけで。
観戦者と競技者の、謙譲。
その表明としての制服。
ましてや、国旗を背負ったスポーツを、戦争の平和的な代理行為としてとらえたがる手合いならばだ、なおのことその公的側面の確立を声高にせにゃならんはず。
能書きはともかく、
これがあたしらケービ士なら、一発で馘首。
そこは問答無用だ。
理屈もへったくれもない。
営業マンなら、規則うんぬん以前にイタイ成績となって現れる。
警察官なら、社会問題だし。
総理大臣なら、
CAなら、
ホテルマンなら、
ショッカーなら、
ホワイトベース乗組員なら、
と書きつつ想像して笑ってしもうたわい。
ま、
本当はね、
なんだかんだ言っても、正直、ええなあと。
普段ラフなイメージで売っている人たちが、制服なり礼服でピシッとするのって、萌えませんか。
当事者としてもおいしーですよね。
おいしーですよ。
はい。
公私のメリハリって、かっこいいと思います。
☾☀闇生☆☽
追伸。
あのね、
公的なアレコレがスジを通してピシッとしてくれているからこそ、私的なアレコレが羽を伸ばせるのではと。
音楽も、
映画も、
小説も、
エロも、
それでこそハメを外せるという。
連日、エロ屋とケービ士を行き来している身として、実感するのだわ。
エロなんてもっとも私的なものでしょ。
なんならニンゲンの獣的な側面でしょ。
完全に否定するのもナンだけれど。
それはそれで窮屈だけれど。
といってそれを垂れ流しに解放したまんまでは、ねえ。
苦痛系なんかを取り扱ってますから、それは切に。
切に。
とどのつまりが、
ぼん、きゅっ、ばん。
世界のメリハリも、ほどよくクビレがほしいものですと。