とまあ、
あたしにはそんなこんなのビデオ屋時代があったのだけれど。
それはそれでいろんなことがあったのではあるが。
ついでといえばついでだ。その会社の会長について覚え書きをしておこうと思う。
会長といってもレンタルビデオ会社を設立しようという息子(社長)に出資した親という関係性であった。
実務はこれといって何もせず、隠居の身なので、月にいちど各店舗を巡回して店員たちとお喋りをするだけのご身分だ。
面白いのはその方は元軍人さんということ。
断っておくけれど、
以下の覚え書きは史料的、資料的価値はございません。
あしからず。
そんな会長さんと雇われ店長の店頭での『立ち話の記録』に過ぎない。
当時はそのおしゃべりに業務を中断されるので迷惑だった。
話にも興味を抱けなかった。
けれど今になって思えば、もっと詳しく聞いておけばよかったと後悔している。
というのも、
軍人時代のことはご家族にも話したことがなかったそうで。
そうと知ったのは、会長が亡くなられたあとのことであり。
加えて、その頃のケツ青きあたしは、先の大戦のことなどに興味をもてなかったのである。
ついでにもうひとつ断っておけば、
元軍人さんの戦時中の記憶といってもさまざまで。
よくマスコミに取り上げられるような勇敢な軍功をあげた方や、あるいは悲惨な経験をされた方ばかりではないことも留意しておきたい。
反戦でもなく、好戦でもなく。
で、この立ち話もそうで、政治利用できるような逸話もないので。そこはどうかひとつ。
また、
話は時系列にそってされたわけでないので、話の前後を、あたくしなりに推理してつなげてあります。
悪しからず。
まず若くして東北から上京し、日本料理屋に勤めたという。
丁稚奉公のようなものなのだろうか。
料亭、という言い方をしていたような気もする。
ともかく、その後招集された。
配属されるとき、軍は潜水艦の乗組員希望者を募っていたそうで。
横一列に整列させられて順に問われたのか、
あるいは個別面談であったのかはわからないが、
会長が云うには、そこが人生の分岐点だったという。
潜水艦乗りは給与が良く、希望する人は少なくなかった。
けれどみんな肺をやられて短命だ、という情報を仲間から得ていたそうな。
そこで、潜水艦を断る理由として、板前の経験があるのでそれを活かしたいと申し出た。
それが受け入れられて、調理兵となる。
曰く「助かった助かった」と。
調理場のつく軍用艦とは、どのサイズからになるのだろう。
あたしは詳しくない。
会長が配属された艦の種類もやはり聞いておけばよかった、とつくづく。
で、この調理兵(実際の呼称はちがったと思う)の役得を、会長はほくほく顔で話してくれて。
まず戦闘が始まれば、戦闘に参加しなくてよかったそうな。
雑用くらいは手伝ったのだろうけれど、邪魔にならないよう隠れているだけだったと。
そして、食材の管理も任されており、たとえ上官であっても規律に無い料理や食品は支給できない。
けれど、そうはいってもみな腹をすかせているので、夜中にこっそり「わけてくれ」と拝まれることもあったらしく。
となれば胃袋をつかんでいるようなものだから、誰も会長に悪くする人はいなかったという。
みんな俺に嫌われたくないから、気を使ってもらえたと。
戦闘中の話として。
海面ぎりぎりを飛んで接近してくる敵機に対して、こちらも砲撃をするのだが、そう簡単には当たるものではないと。
艦上を通過する敵機に向けて、垂直に砲撃する様子も身振り手振りで教えてくれた。
悲惨な状況としては、
撃墜した敵機が洋上に散乱して、敵の搭乗員が波間に浮かんでいる。
ママ! ママ! と助けを求めているのだけれど、みるとすでに内臓が水面に浮かんでおり助かる見込みがない。
同情した仲間が「早く楽にしてやろう」と拳銃で狙うが、航行しながらの応戦中でしかも対象も波間に揺れているものだから、当たるわけがない。
潮の流れもある。
あと敗戦かな。
その一報を聞いたのは中国大陸のどこかの港だったという。
つづいて中国兵がくるぞ、と。
なので置き残してもどうせ略奪されるだけだからと食料を船に積めるだけ積んだ。
それこそトイレの便器の縁ぎりぎりまですべて食料で満たし、文字通り逃げるように出港したそうな。
遠ざかる艦に向けて中国兵が口惜しがって射撃してきたが、そのときにはもう届かない距離まで陸から離れていた。
それでもわーわー罵って射撃してきたと。
帰国する前に、
洋上で会長は、思い出として機銃(?)を撃たせてもらったそうな。
どうせ武装解除ですべて取り上げられるのだからと。
なんせ戦闘中は隠れているだけだったので、撃ったことがない。
一度撃ってみたかったのでしょうな。
で、帰国となるのだが、
海外に散らばっていた膨大な数の兵士たちが一度に帰還するので、占領軍による事務手続きなどが渋滞していたそうな。
入港の許可が下りるまでたしか二か月と言ったか、離島で過ごす羽目になった。
この島もどこなのか、聞いておけばよかった……。
ともかく、その離島で食いつなぐのに、先に積み込んだ食料が役に立ったという。
で、晴れて許可が下り、帰国。
となると、残りの食料も没収されるだろうと。
そこで会長はそれらを小分けにし、
手もとにあった名簿をたよりに、一度の面識もない人をふくめた同志たちすべてに送付。
ちなみに、
武装解除で拳銃を取り上げられたが、
なぜか会長は「あのとき隠し持っておけばなあ」と笑った。
なにに使うつもりだったのよ。まったく。
そしてこのときに面識もないのに物資を送り付けた元軍人さんたちと、戦後、戦友会(だったと思う)で会うのだな。
「あなたが〇〇さんでしたか」と。
拝むようにして感謝されたという。
なんせ帰国するのに軍服まで売って帰るような方もおられた状況で、なかには新聞紙を着て帰ってきた人もあったというのだ。
そんななか、面識のない人から当時貴重だった砂糖なども送られてきたというのだから、そりゃあ感謝されますわな。
このあと、会長は闇米に手をだすのだけれど、
その話はまた次の機会に。
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