小松政夫の訃報の大半がギャガーとしての小松政夫ばかりを扱っている。
故人を偲ぶのに誰もが知る代表的な一面を取沙汰して共感したがるのは致し方ない。
時代を背負った有名人を偲ぶことで、あたしたちは経てきた時間の共有点を確認し、慰撫したいのだ。
己を。
とどのつまり懐かしみたいのだな。効率的に。らく~に。
けれど、どうだろう。
せっかくなのだから他の秀でた一面にも触れるきっかけにするのも、マスコミの役割ではないかとも思ふのだ。
といって安直にプライベートに踏み込むのではなく、仕事としてね。
実は家庭では真面目なパパだったとかなんとか、すーぐやりたがるでしょ?
イッセー尾形と組んだ二人芝居の一連の仕事は、もっと取り扱われてよいと思ふのですよ。
闇生