壁の言の葉

unlucky hero your key

隣の。

 隣室201号室のNさんの郵便受けに新聞がたまっている。
 気づいたのが土曜。
 二部が受け口に、もう一部が郵便受けの上にのせてあった。
 未明に新聞が届くと、まるで待ちかねたようにそれを取りに出てくるのがNさんの日常的気配であった。
 日曜の朝に四部目が配達され、やはり戸外の隙間に押し込まれる。
 もしやと思って、ノックしてみるが応答がない。
 大家に報告する。
 しかし大家も動転したのだろう。あたしの実家に電話をいれて「隣室の人から、夜も息子さんの部屋に電気がつかないと連絡があった」「郵便受けに新聞がたまっている」「息子さんと連絡がとれない」などと云い放ったらしく、老いた両親を不安へ落とし込むことに。


 逆だよ逆。連絡がとれないのは隣っ!


 このNさん。
 転居してきたのは二年ほどまえだったか。
 ある日その妹と称する女性が夫らしき人と訪ねてきた。
 ところがたまたま当人が外出中だったため、彼女は隣のあたしに様子を聞きに来たのである。
 聞けば、当のNさんはあたしと同じようにケービ員をしていたそうな。
 あるとき現場で「体臭がきつい」と客にクレームされ、それをきっかけにバッテリーが切れた。
 無断欠勤。
 そのまま退社して収入が途絶え、行方不明になったという。
 体臭を指摘されるということは二号現場ではなく一号、つまり施設警備だったのではないか。
 それからホームレスとなったという情報までは得られたが、そこから二年間消息を絶った。
 妹さんは兄の行方をさがしつづけ、警察にも相談。
 すでに自殺している可能性まで考えたという。
 相談した警察によれば、ホームレスになってまで生きようとする人は自殺しないのではないか、とのこと。
 そして、探しに探し、ついに居場所を見つけ出したというのが事の次第なのであった。


 あたしは夜勤者であるから、日中にこのNさんの部屋をだれかが訪れると、その気配やら話し声で目を覚ます。
 役所の人らしき女の人が定期的に訪れていた。
 働いている気配はまったくない。
 生活保護を受給していたはずである。
 ホームレスの救援だか支援だかの公共サービスによって救出され、アパート住まいになったのだろう。
 その手続きやら決め事の説明をする役人の声が聞こえたことがあった。
 Nさんは耳が遠いらしく、訪問者はみな声を大にして接しているからだ。
 そしてそういう決まりでもあるのか、ドアをしめずにやりとりする。
 スタッフが女性だったからかもしれない。
 暮らしぶりは質素で、テレビの音すら聞こえたことがなく、カーテンもない。
 先月だったか、洗濯機がやっと共用スペースに設置された。
 窓のすりガラス越しに病院にあるような味気のないベッドの枠が見えた。
 介護ベッドなのかもしれない。
 たまに訪問介護の車が、アパート前に駐車するようになった。

 あたしとのコミュニケーションといえば、
 よろよろと手すりを掴んで階段を下りてくるNさんと、その階段下のスペースにバイクを停めつつ会釈をかわす程度であった。


 今朝、再度隣室の郵便受けを確認。
 五部目が積んである。
 大家に報告。
 身内に連絡したほうがよい、と意見するも身内がいないと言う。
 ということは、妹さんは、自らの存在を大家に伝えていないということになる。
 それとも、身内を明かせば、生活保護の受給対象から外れてしまうからか。
 それ以前に、まず大家が確認に来いよと思ふ。
 あまりに悠長なので、役所に通報しようかと調べたがそこはやはりお役所だ。土日祝祭日は窓口が閉ざされ、平日の8時半から17時までしか対応しない。



 区民であるということに昼夜も祝祭日もないが、それを管理する役所という機能はしっかりと休みやがんのな。




 
 無事であることを祈ろう。
 明日は我が身だ。


 追伸。
 昼になって買い物からもどってみると、アパートの前に警察のバイクと見知らぬ車両が。
 大家がやっと通報したらしく、隣室のドアの中でなにやら複数の話し声がしている。
 心臓が止まって云々、部屋の中で倒れて云々と。
 やはり、お亡くなりになっていたようだ。


 合掌。

 さらに追記。
 いま大家から連絡。
 当人は入院していたことがわかったとのこと。
 周囲になにもいわずに入院していたのである。
 あるいは伝えられる状況になかったのか。
 部屋のなかで倒れているところを発見されて搬送されたということなのか。
 なにはともあれ、
 ひとまずほっとする。





 闇生