本日も勤務無し。
肉、野菜が切れたので久方ぶりに日中に外出。買い出しのためにスーパーへ。
金曜だからか、ATMには列ができていた。
みな1~2mの間隔をあけているので、いつもより長大な列になっているのがおもしろい。
おもしろがるのも不謹慎なのかもしれないが、今だからこその光景には違いない。
桑原甲子雄という写真家が東京を撮り続けた写真集『東京1934~1993』(新潮社)。
これを眺めてあたしゃ飽きることがないのだけれど。それはその時代特有のものを映しているからであって、
2.26事件の戒厳令下の東京の様子から、路地裏でメンコに興じる虱アタマの少年たちや、
大衆演芸全盛期の浅草の町並みなど、
別の時代にはない街の顔が見られて楽しい。
距離をおいて並ぶマスクの人々のことごとくがスマホをいじっている光景は、きっと今このときならではの顔になるだろう。
銀行では感染防止のためになるべくATMを利用するよう貼り紙がされてあった。
整体院では、特殊な空調機を複数使用したうえで感染対策も万全にしているとの貼り紙。
どこもいろいろと工夫をしている。
昼過ぎだというのにラーメン屋のカウンターは客がまばらだった。
パチンコ屋は休業。
そういえば、大阪につづいて東京でも営業自粛をしないパチンコ店の店名を公表するというニュース。
営業したところで、この騒ぎでは集客できんだろうという考えは甘かった。
自粛に退屈した無職者が集まる*1のだという。
彼らにしてみれば外出自粛のストレスをパチンコで発散という理屈なのだろう。
外出を良しとしない公的圧力が悪いのだと。
んが、そういう人はこの騒ぎでなくともパチンコをしている人たちに違いない。
そもそも普段からパチンコをしない人は、外出禁止のストレスがあったにせよ、その発散方法の選択にパチンコは思い浮かばない。
ならば、店名を公表するのも逆効果ではないかとあたしゃ思ふのだ。
地元のパチンコ屋が営業自粛をしている場合、パチンカーの気持ちになって考えれば*2、ではどこが営業続行しているかとなる。
パチンカーたちはパチンコ台の釘のごとくにそのオツムに二本のアンテナを張ることだろう。
となれば、罰則としての公表が彼らへの情報(宣伝)になってしまうのではないか。
情報は銀玉となって光り輝き、二本の釘のアンテナにかかって、チューリップのごとくあんぐりと開いたままの口のなかにストンと落ちる。
チンジャラ、チンジャラ、頭のなかでフィーバータイムが始まれば、もうじっとしていられない。
なんとめでたいことか。
なにしろ、この騒ぎのなかパチンコに行けるようなノーボーダーなデリカシーの持ち主たちだ。
公表された店名をたよりに町を越え県を越えして這ってでも行くだろうし。
ふだん「あそこの店は出るよ」的に機能するパチンカーたちのネットワーク(通称PKN*3)が、不屈のフロンティア・スピリットによって強い連帯と絆を生むことだろう。
ましてや、待ち受けるのはこの騒ぎのなかでも営業を続行したろうという神経のマッチョなお店だ。
公表されたところで屁の河童ではないのか。
かえって宣伝になると高を括る店も出るのではないのか。
そして、この騒ぎだからこそ、営業店は玉をじゃんじゃん出すに違いないと冒険者たちは胸躍らせる。
営業続行側としては、ウハウハ顔で店を出ていく客たちへの取材こそが、次なる宣伝になるというもので。
パチンコ業界には、こういう事態で統率をとるような協会はないのだろうか。
さて、スーパーだ。
店頭にはアルコール消毒液が設置され、マスクの装着をするよう赤文字の貼り紙。
やはりレジの列は互いに距離をおいている。
セルフサービスの揚げ物コーナーでは、すべて個別包装されていてそれをトングで取るようになっていた。
では、
今宵も読書のつづきと、
ゲームをちょいと進めてから半身浴、
身体があったまったところでストレッチ&筋トレ、
瞑想、動画渉猟しつつの晩酌。
だはははは。
楽しいものは外にはない。
楽しむ心があるだけだ。
とは誰の言葉だったか。
あたしか?
違うな。
誰かがどこかで言ってるな。
追伸。4/26
mainichi.jp
店名公表パチンコ店、堺では300人行列 住民「ウイルス持ち込むかも、怖い」 | 毎日新聞
ほらね。
さらに追伸。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200426-04260094-sph-sociheadlines.yahoo.co.jp
たしかにそこまで読むのは難しい。
あたしが読めたのはたまたま。偶然だ。
パチンカーを批判しようと書くうちにふと、ひょっとして、と気づいただけのこと。
パチンカス憎しで考えると、相手の心理がよめなくなる。
感情が介在するからね。
感情を起点にすると、誤る。
あたしの前の職場の上司が正真正銘のパチンカスで、
給料の前借りまでして、
カード使い倒して、
社長に過払い金整理の手続きを手伝ってもらって、
その還付金をまたパチンコに投げて、
昼休みに打ちにいって「ちょっとだけ打とうとおもったらフィーバーきちゃったから、戻るのちょっと遅れる」なんて、平気で電話してくるまで堕ちて。
だから、どうしても憎悪がともなってしまう。
けれど、彼らの身になって罰則も考えんと、ちゃんと急所にあたらない。
だからパチンコと考えず、生活必需品だと置き換えて考えればよい。
あるいはトレペに置き換えてみるとか。
喫煙者にとってのタバコに置き換えるとか。
店名公表は「この店では同調圧力にめげずにがんばって売ってますよ」という宣伝に他ならない。
パチンコの中毒性は古くから言われているのだから、中毒者たちは禁じられればどうなるか。
それが必要な人は、殺到するでしょう。
あたしゃ芸能人のドラッグがらみの逮捕報道ですら、同じように考えている。
売人にしてみれば、折り紙付きの顧客名簿のようなものだ。
なんとしてでもお近づきになりたい。
話がそれた。
パチンコ。
あんなに楽に暇をつぶせるものはないよね。
何かをゼロから作るわけでなし。
創意工夫もそれを実現するための訓練も労働もいらない。
技術を批評されることもない。
なかには生活をかけて研究する人たちもいるらしいが、研究しなくともそれを遊ぶことはできるのだ。
大半がそうだろう。
技術がなくとも遊べる。
なにも考えずとも遊べる。
遊び方を父親や先輩や師匠や先生から指導されるような種類のものでもない。
店名公表パチンコ店に大行列 京都は観光客減で閑散(20/04/26)
闇生