連休。
どこにいくでもなく、ぐうたら過ごす。
ケービの同僚に頂いたBlu-rayを視聴。
放映された細野晴臣のライブが目的で頼んでおいたものだったが、ついでに坂本龍一のニューヨークでのライブが収録されてあった。
某国営放送で放映されたものらしい。
ピアノを取り囲むように配置された観客は50人くらいだろうか。
観客の中に福岡伸一に似た人がいて、目立つ。本人だろう。
従来やってきたヒット曲の羅列のような構成ではなく、現代音楽的アプローチで、ピアノも弾くだけではなく叩いたり、彫刻楽器とよばれるオブジェを演奏したりと、音響的世界が繰り広げられていた。
以前、デビッド・トープとのコラボレーション・ライブがネットに公開されていて視聴したが、それもやはり伝統的な12音階や和声、ロック・ポップス的ビートアプローチからの飛躍を試みたもので、濃密な音体験をさせてもらった。
今回は、ソロとしてのもので、より深くなっている。
トリオ編成で公演していた時期にも、そういったアプローチは見られた。
が、当時は奇をてらった感があったと思う。
それは、従来のヒット曲の再現を待望するファンへの反抗でもあったろうから、致し方なかったと思うのだが、近年のこのアプローチはその頃とは違って肩の力が抜けている。
非常に気持ちが良い。
動作としてのパフォーマンスを忘れ、純粋に好きな音の追究に没頭し、遊んでいるとおもう。
ならばと目を閉じて聴く。
気持ちよい。
少し前に目立った政治的主張やスローガンを掲げていないのもよい。
むろん、彼の性分として「こぶしを突き上げたい」感情は常にあるだろう。
んが、それがむき出しにされていないだけ、受け手に解釈の自由がゆるされた。
それでこそ表現であり、音楽だ。
闇生