引き続き新コロ騒ぎ。
集客の見込まれるイベントや施設が、中止もしくは延期の判断をせまられていて。
その判断に対する評価も両論あって。
それは騒動のもとが解明されていないから故の騒ぎであり。
解明されていない以上は、両論の根拠もまた薄弱であるからして、とどのつまり不安には違いない。
若い人は免疫力も強く、またその強さに無自覚でもあるから、あまり脅威に感じてもいない模様。
しかし身内に年寄りをもつ者や、乳幼児、病人のある人は神経過敏にもなるでしょう。
すくなくともその不安と、参加の意義をてんびんにかけてしまいますわな。自身にかかわる催しそれぞれに。
たとえば旦那に、わざわざこの騒ぎのなか街に呑みにでるこたねえだろ、と。
我が子の健康と旦那のつき合いをてんびんにかける。
でね、
たとえば、
この騒ぎのさなかに数千人をこえる参加者が予定されている研修を敢行する会社なんざ、どうなんだと。
え? どうなんだと。
士気を高めようとするメールまで、連発されている始末である。
参加を予定されているあたしにとっては、あほくさい。&めんどくさい。
つまり、新コロの危険度が実際どんだけ低かろうがこの騒ぎだもの、社内研修など中止にしてしまえと思ふ。
そのツッパリかたは、台風の夜中にあえて裏の川を見にいくのと変わりがないのではないのか。
しかもわざわざ休日に召集しよるのだから、あたくしにとってはてんびんが釣り合わないのであーる。
夕刻、近所のスーパーに夜勤上がりの朝酌ネタを買いにゆく。
トレペ売り場の棚は空っぽ。売り切れのポップが貼りだされていた。
セルフサービスの揚げ物コーナーは、普段はトングで好きな総菜を自分で袋にダンクできたが、今回の騒動への対処としてあらかじめ小分けに袋詰めされてあった。
1000円ワインと鶏肉を購入。
帰り道、
老人ホームの前には喫茶サロンをしばらく閉鎖するとの告知。
行き来する人たちの様子はいつもと同じに見える。
マスクしている人が異様に多いのは、コロナ騒ぎ以前からのこの国ならではの景色だ。
子供たちもいつもと変わらない。
かくいうあたしがマスクをしないのも、いつも通り。
闇生