特別展『 出雲と大和 』東京国立博物館にて
前期展示1/15~2/9
後期展示2/11~3/8
日本書紀成立1300年、だそうで。
圧巻は2000年に出雲大社境内で発掘された巨木三本を束ねた柱の基礎だ。
巨木三本1セット( 直径約3メートル )として、2セット。これが館内に実際の間隔をもうけて展示されてある。
残されている設計図から実際は一辺が3セットの正方形型に配置されていたと見られているので、少なくとも3×3=9セットであることを想像すると、その壮大さがうかがえよう。
これまで真偽の問われていた高層本殿を証明することとなった遺跡だが、柱を輸送するために穿たれたと思われる穴や、柱の表皮を削ったあとなどが残されていて生々しかった。
あの穴に縄をかけ、おそらくは現在の御柱祭に残されているような、勇壮で盛大な神事として輸送されたのに違いない。
庶民は盛り上がったろうなあ。きっと。
東京スカイツリー建築時に、その鉄骨輸送が文字通りお祭り騒ぎになったなんて話は聞かないが、古代の巨大建築であり神のすまう出雲大社ならそのイベントの賑わいが容易に想像できる。
この遺構。1248年( 鎌倉期・宝治2年 )のもの、と鑑定されている。
国譲りの舞台となった古代よりくり返し遷宮されてきたうちのひとコマだったのであろう。
平安期にその高さは16丈( 48m )あったとされ、さらなる古代期には32丈( 96m )とも伝えられる。
32丈説は神話として盛ったものであろう、というのは現代建築学の科学的見地から。
神話の時代はさておきこの遺構をみれば見れば少なくとも48m説に圧倒的な説得力を感じはしまいか。
でけえぞ。こりゃ。
縮尺模型が展示されており、天上の本殿へと長大な階段が設置されていたと考えられているらしい。地上48mの本殿まで直線の傾斜として取り付けられていた階段は、実寸全長が約100mとのこと。
この模型も、想像のよすがとして長く観賞していられた。
やはりこの階段は、直線の傾斜でなければ、駄目だったのだろうか。
現代建築のビルに見られるように踊り場をくり返し通過する方形の螺旋式ではなく、
かといって垂直によじのぼる梯子でもなく、
貢物を両手に捧げ持って天へと向かう一本の白木の傾斜。
一直線だ。
模型では階段を上がっていく巫女の人形が配置されていて、上るほど、接近するほど神妙に、そして神がかりな精神状態になっていったであろうことが想像される。
神、いるな。
と実感せずにはおられない圧倒的な景観であったはず。
本殿から神主なり巫女なりがこの長大な階段をおりてくれば、彼等がのたまう御宣託にも信憑性があったことだろう。
俗に雲太、和二、京三と言われた。
日本の巨大建築のベスト3を古代人が太郎、二郎、三郎式に名づけたもので。
その長男坊、雲太の雲は出雲の雲。つまり出雲大社( 16丈 )である。
二男坊の和二の和は、大和の和。大和(奈良)の大仏殿( 15丈 )。
三男坊の京三。京都御所の大極殿。
崇物論争の末いわば国教にされた仏教の、それこそ全国の国分寺、国分尼寺建築までふくめた一大国家プロジェクトの象徴ともいうべき大仏殿が、出雲大社に一丈だけ遠慮している点が面白い。
主祭神はオオクニヌシ。
国を譲った、というか征服された出雲側の代表だが。
その祀られ方が大変興味深いのだ。
井沢元彦著『 逆説の日本史1 古代黎明編 』によれば、本殿内では、オオクニヌシが参拝者にそっぽを向く他に例のない不思議な配置になっているという。
正面から拝ませてもらえない。
そして、征服者側つまりヤマトの神々五柱がオオクニヌシを守っている。
出雲大社とは敗戦者オオクニヌシの「 霊魂の牢獄 」であり、その獄を固める五柱は占領者側の『 看守 』であると著者は表現した。
タタリを恐れたのだと。
むろんこの展示では、井沢元彦の論は紹介されていない。
しかし、現在の本殿内の配置図くらいは展示すべきではないかと思った。
大量に出土した青銅製の銅剣・銅鐸の数々も展示。
銅剣はびっしりと隙間なく整然とならべた形で出土されており、
また銅鐸も、互い違いのような感じて並べて埋められてある。
銅鐸は鐘としての機能をもつとされているが、主に祭祀に使用されていたと考えられている。
しかし、どうだろう。
よくわからないものはとりあえず祭祀用としてしまう傾向がないだろうか。
祭祀用ならば、なんの象徴なのだろう。
鏡は光。太陽。『 天 』。アマテラス。
剣や鉾の武器類は、戦争。戦い。退治。三兄弟のなかで高天原を追放されたもっともニンゲン臭い神、『 地 』に立つスサノオ。
などと素人考えをつらつらと発展させれて、
銅鐸、つまり鐘は『 時 』を告げる、と考える。
古代の時間の基準は日没や日の出の太陽基準なのだろうか。
おそらくは月齢が暦( 月単位の時間 )の基準であろう。
月は時間。ならば、それを告げる鐘。ツクヨミ。
天と地と時。
なんてな。
銅鐸にもし音階があったのならば、貴重な史料となるだろうなあ。
確か常設展の方には実際に『 演奏 』できるレプリカが展示されてあったと記憶する。
子供がよろこんで叩いていたと思う。
時間があるかたは常設展もぜひ。
ボリュームたっぷりです。
面白いのは装飾品であろうが、銅剣、銅鐸、鏡であろうが、種類別にまとめて埋められていること。
そこに日本人の整理整頓好き、分類好きが出ているのではというのは、まあ、これも素人考えでしょうな。
展示は前期と後期で展示内容を変えるそうな。
期間中にぜひぜひ。
追伸。
古代が現代ならば、だなんて夢想する。
たとえば、公園の遊具。
未来人がこれを発掘したら、何に使っていたものかわかるのだろうか。
シーソーやブランコ。
これも祭祀用と考えられたりして。
スケートボード用のスロープなんて、スケボとの関連に気付かなければ、
「 いったいなんのために 」
となるはず。
マッドロック・クライミングのあのカラフルな石が配置された壁なんか、未来人からも見たら理解不能ではないのかと。
という妄想で遊ぶと、銅鐸。まったく違う用途だったりするとそれはそれで面白いね。
闇生