通行止め現場。
ひとつ手前の迂回ポイントをスルーしてきたワンボックスが現場まできて、曰く、
「なんだよ通れねえのかよ。ったく。通れるっていってたぞ、さっきのガードマン」
謝り謝り、Uターンして頂いたのち、その『抜かれた』ポジションの隊員に事の経緯を問う。
訊けば、その人はふらりと徒歩で現れて「通れる?」と現場の方角を指さしたという。
歩行者、自転車ならむろん通れる。
なので「通れますよ」と答えた。
「あっそ」と彼は踵を返して去って行ったのち、車に乗って突っ込んできたという。
質問している自分の表情や声音や状態までを総合的に意識しつつ、そのうえで相手がどう解釈するかまでをコントロールできるひとは、そんなにいない。
相手は、こちらの総合的な状態をふまえて解釈するもの、という意識。
平たく言えば、理屈、理論ではなく自分から放射される印象。感じ。
当人は平静に質問しているつもりでも、その表情や口調をふまえれば「苦情」と解釈されることも多々あるわけで。
いや、工事だけではなく、日常のやりとりでもね。
面白動画みて自分はウケているつもりでも、その表情は笑ってなかったりするもので。
こわい顔して『(笑)』を入力していたりするもので。
わたくし事をのたまえば、つまらなかった映画について熱弁していたら最終的に『絶賛している』と解釈されたことがある。
熱く語ることそれ自体が、肯定感を醸し出していたのだろうか。
いたのだろう。
むろん批評に値する、という最低限のマナーとしての肯定はしていた。いわずもがなね。
つまらなさを語るのにカロリーを膨大に消費すること自体が、彼には想定外だったらしい。
話を戻す。
このケース。
車で再来したとき、再度停止ねがって、あらためて車両通行止めをお伝えすればよいだけのこと。
けれど、担当隊員は不慣れなせいもあって不意をつかれたとのこと。
確かに質問者のやっつけ感もアレではあったが、
現場としては、担当隊員が自分の役割をちゃんとこなせばよいだけなのであーる。
闇生